ネット難民


 実はカミナリがひどかった土曜日になぜか我が家のネット終端装置が故障(関係あるのか?)。スマホも持っていないので(携帯という手もあるにはあるが)、土日はネット難民になった。無料WiFi拾ってサービスのお試し接続でブログ投稿はしたが、10分の制限付き。カミナリの土曜日に電話屋はてんやわんやの忙しさだったらしい。つまり電話屋に故障を伝えようとしても延々繋がらない状況。さっきようやく新しい装置に交換してもらった。仕事のこともあるので、いざ、ネットが繋がらないとなると、見聞きできない不自由さにまるで病気にでもかかったかのような、相当不安な気分になるものだなぁ。依存度高過ぎ。ネットが無いと暮らしていけないヤワな人間と成り下がってしまった。

物語を創ること


 僕は小説家ではない。ただのデザイナーである。なので物語をつくるプロではない。しかし、仕事柄コピーライトもすることも多いので、商品にまつわる物語を視覚的なデザインだけでなく文章においても創作することがある。下に紹介したサイトは、ガーデンエクステリア資材メーカーのカタログ用に「庭の時間」としていくつか僕が創作したプォトエッセイをナレーション付きの映像にしたものである。フォトエッセイという言葉自体「こそばゆい」し、こうやって自分の文章が音声化されるのもちょっと「こそばゆい」感じなのだが、この映像を初めて見た社員の方の中に涙ぐんだ方もいたと聞いて、いっそう「こそばゆい」。商業サイドの観点から、夢の庭に誘導するという点ではCM的で青臭さがあると思うが、自分としてはちょっとした「庭のリアリティ」を追ったもので、物語を創作する楽しさを味わった作品たちである。来年の企画は全く別の角度から、ということで今、悩んでいる所なのだが、こうした物語を創るのは楽しい。こそばゆいけど聞いてもらいたい気もどこかであるのだ。ご興味があれば下のリンクで聞いて下さい。

ユニソン / Garden Stories

そんなのは町おこしじゃない


 昨日のNHK番組「旅のチカラ」で糸井重里がアイルランドはアラン島の手編みのセーターを追って旅をしていた。アランセーターは島のお母さんたちが漁に出る旦那や子供たちの為に時間をかけて編んだ伝統模様のセーターだが、僕らが20代の頃は「フィッシャーマンセーター」と呼ばれ、日本でも人気だった。しかし、糸井氏が訪ねて見ると、外国製の工場生産ものや手編みのものがあってもアラン島のものは数少なかった。驚くことに手編みのアランセーターを編む人はお年寄りで、しかも今は島に6人しかいないというのが現実だった。アランセーターは30年ほど前、ファッション界でもてはやされ、アメリカでブームになった。それは貧しいアラン島に一時期経済の光を与えたが、しかし、爆発的な人気に手編みセーターの供給は追いつかない。凄腕のセーター編みおばさんは身体を壊した。家族を守る手編みの文化も消えてゆく。そのうち、たくさんの外国製模造品が出回り、大量工業製品も氾濫。手編みに見合う値段も下げざるを得なくなった。そしてブームは去り、島の若者たちも流行を追い、いつの間にか手編みをする人はめっきり減ってしまったのだった。この歴史の不幸な流れを、番組では「これが、町おこしの難しいところだ」と表現していた。これは僕の意見だが、こんなのはそもそもが「町おこしじゃない」のだ。ちまたに「町おこし」という言葉が溢れているが、地元○○品を全国で有名にして盛り上げようとか、人を集めるイベントを企画しようとか、キャラクターを売り出そうとか、それなりに意義のあることだとは思うが、しかしこれは「町おこし」じゃない。「町おこし」って言葉を使うなら、そんなレベルで考えてはいけないと思う。「町おこし」には少なくても50年スパンぐらいの考え方がどこかに必要だと思う。なぜなら、町と文化は長い時間をかけてできたものだから。単に客を集めたいというような市場経済論理で町は簡単に設計できるものじゃないんだ。大事なのはそこに暮らす人一人一人が「本当に幸せなのか」ということなんだ。

社長の人柄は社柄


 今日、企画会議の後で社長に呼び出され、社長室でクライアントの20周年記念DVDを見せられた。歴史とともに働く仲間たちを綴った内容。僕も当初から関わっているので感慨深い。だから僕が来たらすぐに見せたかったのだと言う。うれしいね。最後に綴られた社長のメッセージは「経営方針」でもなく「がんばろう」でもなく、一緒に働く仲間たちへの感謝の言葉だった。このDVDを社員に見せた後、社員全員からサプライズでもらった寄せ書きに感動して泣いてしまったと社長は語った。この社長はどちらかというと経営者というより右脳で動いてしまうタイプ。それだけに経済の波にもまれ大変な経験もしただろうが、社長はこと社員には愛されているようで、会社もみるみる大きくなった。人に人柄というものがあるなら会社にも社柄(社風ではない)というものがあるだろう。そして社柄は往々にして社長の人柄とリンクするのではないかとこの会社を見ててそう思う。今日の企画会議も社長が加わりながら企画スタッフが分け隔てなく意見を言い合っていて、視点と問題点が明確になったいい企画会議だった。いきいきとした職場を見るのは端から見ていても楽しいことである。企画会議は楽しくなくっちゃね。

お年寄りは幸福である。


 プレゼンテーション配信サイト「TED」の動画で聞きかじった話。受け売り。
 高齢化社会の到来。アメリカの研究機関が年代別の「幸福感」を追跡調査したところ、最もストレスがなく幸福であると感じている時間が多いのが「60才以上のお年寄り」だったそうである。
 お年寄りは幸福なのだ。(日本で同様の結果が得られるかは?だが)
 もちろん悲しいことや嫌なことが無いわけではないが、お年寄りはどちらかというと「いい事柄」「楽しい事柄」に目をやる傾向が強いという。けっして、老いて物事の判断が鈍くなったわけではなく、「悲しいこと」「辛いこと」を自らの経験で得た知恵でうまく処理しているらしい。どうしてか?
 なぜなら
 「お年寄りには時間がないからである」
 わかるなぁ、それ。僕もお年寄りだから。
 自分の人生の制限時間が見えた時、人は時間を大切にしようと考え、楽しい時間を選ぶのだ。悲しんだり苦しんだりしているヒマなど無いのである。だから、この研究者はこう締めくくる。この地球が抱えている数々の問題をお年寄りたちに解決してもらった方が地球は幸せになるのではないか、と。
 社会がお年寄りをどう守るのか議論するのではなく、そろそろ私たちがお年寄りたちにどう守ってもらうかを考えてもいいのではないか。

日本ってプレゼンテーション貧国


 仕事で今日は某企業の会社から社員に対するプレゼンテーション、明日は某メーカーからエンドユーザへのプレゼンテーションと、プレゼンテーションに関する打ち合わせが続く。昨日NHKで「TEDカンファレンス」というインターネット上で見られる講演会のことを扱っていた。TEDは様々な分野の人物が様々なテーマを持ち寄って舞台でプレゼンテーションを行なう様子を動画配信していて、これが実に面白い。そのプレゼンテーションの巧みさが際立っている。こういう光景、どうして日本ではあまり見られないんだろう。昔から日本人はプレゼンテーションというものに対する能力に欠け、そこに力点を置いた教育も立ち遅れている、と指摘されてきたが、ことプレゼンテーションに関しては個人だけでなく、日本の企業も弱い気がする(日本の政府も)。僕がお付き合いしてきた企業さんでも、特にメーカーさんなんかは、ものづくりにおいてはスゴいアイデアと技術力をお持ちなのに、こと市場に対するプレゼンテーションつまりマーケティングと広告においては会議室に並ぶ面々の声がなぜか小さくなってしまうのだ。特に製品やサービスに関連する人の文化背景の把握、人の感性に訴える要素の抽出といった部分は苦手のようである。昔は「いいものを作れば売れる」時代だったが、最近はそうもいかない。「自社の製品やサービスの利点をいかに明確に強くエンドユーザーにアピールできるか」が大きな鍵になってきている。その中ではコンセプトを明解にする作業はもちろんのこと、人の心を動かす部分を抽出し、最大限の表現を見出すことが需要である。「人の心を動かすとは何か」TEDのプレゼンテーションを見てもそうだが、プレゼンテーションで成功するには「ワンポイントをアイデア巧みに人の感性に訴えて表現すること」が有効である。
「いらないものを捨てて絞り込む」
「人の感性に響く訴え」
 これが企業さんにはなかなかできない。だから、僕らみたいな商売が成り立っているとも言えるけど、それを外部の人間に任せるのは本来正しく無い。現場の息づかいを知っている自分たちで見出さなきゃ本物じゃない気がする。そういう作業をせっかくしても、欲張りに結局言いたいことを全て語ってしまうので、結果として重要なことがぼけて伝わらない。プレゼンテーションデザインともいえるこの作業がますます重要であることを最近は特に感じる。ここだけの話、僕がこんな風潮を助長している悪だと思っているソフトウエアがある。「エクセル」そして「パワーポイント」だ。表組やフローチャートや組織図を作りさえすればプレゼンができると勘違いしている人のなんと多いことか。「わかりやすくまとめました」などと言っているが、その実ちっともわかりやすくない。写真1枚で生活の1シーンを見せた方がどれだけ説得力があるかわからないのになんで気がつかないんだろう?なんてことをいつも思ったりする。パワーポイント書類づくりを企画部署の若い人にやらせるべきではない。これらの作業で時間を費やしてしまい、重要なことを見落としてしまうクセがついてしまうからだ。
※下は、TEDの日本語訳をサポートするサイト。
http://www.ted.com/translate/languages/ja

広告のインパクト


 フランクフルトの空港内で見かけたこれ、インパクトあった。この広告ディスプレイは誰でも目がいくよね。どうもドイツの経済雑誌の広告らしい。広告のインパクトの為に相当な努力がされたであろう物件である。と、驚いた後で、この人形がどのように固定されているのか首をひねるのだ。人形部分には紐などはついていない。支柱があるとすればプレート近くの指の部分だが、指は浮いているのだ。とすれば、広げている雑誌の所で裏表の人形がバランスをとっていることになる。人形は普通の背広を着ているし、靴も履いている。どうみたってそんなに軽くはないだろう。この時はラウンジを探してうろうろしていた時だったが、さすがに足が止まった。不思議なひとときをありがとう。

線香ろうそく新時代?


 上の写真は懐かしいお菓子が並んでいるようだが、これらは実は線香(お香)である。嗅いで見るとそのものの匂いがする。四日市の郷土物産コーナーで見かけたもの。下の写真はおいしそうだったりするが、これらはすべてロウソクである。団子からカレーライス、たこ焼きやお寿司もある。福岡市の商店街にある仏壇店で見かけたもの。どちらも、趣味性が高いが、故人の好きだったものを供えるという主旨のものらしい。なにか時の流れを感じる。こういったものが好きだった人が逝ってしまっていると思うと、しみじみしてしまうのだった。

騙されてはいけませんよ



 ただ今仕事で必至にイメージを探しているがなかなか見つからず苦労している。グラフィックデザイナーは思い描いたイメージを最終的に現実にするための手段を選ばない、という感じがあって必死だったりする。そこまででもないが、僕の作品事例でバラしちゃうと、上は某社のカタログの表紙だが、表紙に使われている写真は、僕がバリ島のホテルで撮った下の写真である。写真を撮る時「何かに使えるかも」という感はあったのだが、こうなるとは想像していなかった。カタログ制作時に狙いの空気感がぴったりということで思い出し探し当てた。よく見ると同じようで椅子が違っていることにお気づきだろう。実際にカタログに載っている椅子を、カメラマンにスタジオで同じ角度同じ光り具合で撮影をしてもらい合成したのだ。また現実感を遠ざけるため、モノクロ表現にもしている。



 上は某社敷材製品のカタログだが、新製品のためカタログ制作時には製品の現物が無くCGで制作した画像を使っている(デザイン世界では電化製品とか車とか3DCGで描いたものを使うというのはよくあって、素人目には本物と見分けがつかない)。当然上に置かれた人物、犬、車もすべて合成である。ターゲットコンセプトをふまえてどうしても配置したかったVESPAは大手中古バイク店を探し歩いて撮影した下のスナップ写真を加工して採用。車体の色は変えている。実は、右上のポルシェも僕が散歩途中に撮ったスナップ写真なのだ。
 もちろん合成せずに制作できたらそれに越したことはないけれど、合成の方がリアルってこともある。騙しじゃないかといぶかしがる人もいるかもしれない。でも、あなたが目で見ている景色だって本当は脳内で勝手に描いている映像にすぎないのですがね。

岡崎城電話


 わが町愛知県岡崎市は岡崎城のある城下町だが、その城下の公園にあるのがこれ。岡崎の超レアアイテムである。できた当時は首を傾げて見ていたが、今となってはなにか愛おしい。すでに懐かしい部類に入ってしまっているような「公衆電話ボックス」だが、携帯電話を持たない人も持たずに出てしまった人もいるわけで、依然公衆電話は無くなって欲しく無い気もする。