2012年10月の記事

コミュニティーに呼びかける


 アーティストのキャンディ・チャンというアメリカの女性が、ニューオリンズの自宅の近所にある空き家を利用して何かできないかと考え、こんなことを思い付いた。空き家の壁に一面黒板を貼って、大きな伝言板にし、そこに穴埋め式のひとつの質問をたくさん並べて、道行く住民が自由に書けるようチョークを置いてみたのだ。その質問は「Before I Die I want to___.」(死ぬ前に私は___したい)。すると近所の人々から驚くような答えや、感動的な答え、あるいはユニークな答えが寄せられ、普段日常的に考えることの少ないシリアスな質問に、その伝言板がコミュニティーをより鮮明に浮かび上がらせ親密度の高いものした、という。これが世界中で、わが町でもやってみたいと反響を呼び、今やこの伝言板制作キットまで用意されているらしい。彼女は以前にもこうしたアクションをしていて、例えば廃屋などに「I WISH THIS WAS___.」「私はこれが___だったらいいと思う」というシールに人々の思いを自由に書いてもらい現場に貼り出す、なんてイベントも行っている。コミュニティーを浮かび上がらせるのに、人々の心の部分に直接呼びかける手法はなかなか面白いと思う。彼女の話、聞いてみますか。
TEDで行われたプレゼンテーションは「こちら」
ちなみに
「Before I Die___.」に関する内容は「こちら」
「I WISH THIS WAS___.」に関する内容は「こちら」
写真はwww.ted.comより。

リミックス

 ボブ・ディランの全盛期にたくさん作られた曲の中の3分の2は古いフォークソングのコピーであると言われているそうだ。メロディーは同じだがアレンジが違う、歌詞も違う。ディランは「どこかで聞きかじったメロディーをいつのまにか自分が作ったメロディであると思ってしまった」と証言している。
 このことは我がデザインの世界でも起こり得ることだ。起こり得るというより、ほとんどがこれではないかとも思う。あちこちで得たイメージの脳内データベースの中から何かを選び出して模倣しているだけなのかもしれない。「芸術は模倣である」とは誰かが行った名言であるが、よくよく探ってみればこの世にオリジナルというものはほとんどなく、永い歴史の中で人が作ったさまざまなものに影響されて、またはその上に何かができてくる。「コピーし、変形させ、つなぎ合わせて、リミックスを作る」「真似る、改善する、再構築する」これが人が行う創造というものかもしれない。
 著作権や特許権というのは社会や経済システムにおいては利害関係を守る重要なルールなのだが、先に照らして考えれば個々の内容は危ういものかもしれない。Appleはライフスタイルを変えるほどの斬新なアイデア製品をつぎつぎと発表しているが、「マルチタッチ」にしても基本的にはずっと以前に開発されていた技術だ。スティーブ・ジョブズは以前「いろんな技術を利用させてもらった」と語っていた。なのに、Samsungに対してAppleは「真似をした」と怒っている。Windowsのウインドゥを使ったオペレーションシステムだってそれ以前のAppleにあったものだし、世界中に走る多様な自動車たちも、さまざまな技術のコピーを繰り返し再編され切磋琢磨しているに違いないのだ。もちろん一方で商売一辺倒の稚拙なコピー(Fake?)も繰り返されてはいるのだが…、
 「illy」というコーヒー会社は自社で培った技術を特許権で守らず「コーヒーの発展の為に」開放公開していると聞いたことがあるし、またiPS細胞を発見した山中教授のいる京都大学は特許権を獲得し、技術使用の采配権を持つことで逆に開放し、医学進歩に貢献しようとしているとも聞いた。コピーの世界に自由は必要か否か。
 チベットの高僧に人の道を問えば「人は本当の自分を探そうとするから苦しむのだ。本当の自分自身などこの世に無いのに…」と言う。「あなた自身は親からできたものであり、親はそのまた親からできたものである」とも言う。自分自身のDNAがコピーなのにオリジナルの自分などあろうはずが無く、そのコピーが人生の中でいろんなものに影響されながらリミックスされたものが今の自分というわけだ。
 ボブ・ディランの曲がコピーだからといって、彼の作った音楽が人々を感動させたことに違いは無い。ゴッホが日本の浮世絵を模倣したからといって、彼の作品の価値が下がるわけではない。我々はもっと「リミックス」というものを受け入れるべきかもしれない。なぜなら、この世はほとんどリミックスなのだから。
 ということで、TEDで拾った受け売りや、あちこちで聞きかじった情報をリミックスしてこの文章を書いた、というわけ。
(ちなみに写真はリミックスの金字塔「カツカレー」)

アンチョビ缶の謎

「えーっ?!!何ーこれー!!」とカミさんがキッチンで叫んだ。何かと思って覗くと、これであった。これは北欧に行った時、スウェーデンのスーパーで仕入れたアンチョビ缶である。カミさんがこの蓋を開けたら何も入っていなかったのである。「ええっ?そんなことが?!」。見ると缶には汁だけしか入っていない。肝心のアンチョビが入っていない。まさか蓋の裏にくっついているとか?やはり無い。これはアンチョビの汁だけの缶詰?それともアンチョビが溶けてしまったのか?ネットで缶詰にアンチョビが入っている写真を見つけた。となると、クレームか。しかしスゥエーデンだものな。これ100円ぐらいだしな。泣き寝入りか。しっかし、そんなことってあるのか?