2012年07月27日の記事

そんなのは町おこしじゃない


 昨日のNHK番組「旅のチカラ」で糸井重里がアイルランドはアラン島の手編みのセーターを追って旅をしていた。アランセーターは島のお母さんたちが漁に出る旦那や子供たちの為に時間をかけて編んだ伝統模様のセーターだが、僕らが20代の頃は「フィッシャーマンセーター」と呼ばれ、日本でも人気だった。しかし、糸井氏が訪ねて見ると、外国製の工場生産ものや手編みのものがあってもアラン島のものは数少なかった。驚くことに手編みのアランセーターを編む人はお年寄りで、しかも今は島に6人しかいないというのが現実だった。アランセーターは30年ほど前、ファッション界でもてはやされ、アメリカでブームになった。それは貧しいアラン島に一時期経済の光を与えたが、しかし、爆発的な人気に手編みセーターの供給は追いつかない。凄腕のセーター編みおばさんは身体を壊した。家族を守る手編みの文化も消えてゆく。そのうち、たくさんの外国製模造品が出回り、大量工業製品も氾濫。手編みに見合う値段も下げざるを得なくなった。そしてブームは去り、島の若者たちも流行を追い、いつの間にか手編みをする人はめっきり減ってしまったのだった。この歴史の不幸な流れを、番組では「これが、町おこしの難しいところだ」と表現していた。これは僕の意見だが、こんなのはそもそもが「町おこしじゃない」のだ。ちまたに「町おこし」という言葉が溢れているが、地元○○品を全国で有名にして盛り上げようとか、人を集めるイベントを企画しようとか、キャラクターを売り出そうとか、それなりに意義のあることだとは思うが、しかしこれは「町おこし」じゃない。「町おこし」って言葉を使うなら、そんなレベルで考えてはいけないと思う。「町おこし」には少なくても50年スパンぐらいの考え方がどこかに必要だと思う。なぜなら、町と文化は長い時間をかけてできたものだから。単に客を集めたいというような市場経済論理で町は簡単に設計できるものじゃないんだ。大事なのはそこに暮らす人一人一人が「本当に幸せなのか」ということなんだ。