2012年01月の記事

体内年齢52才記念


 これは、マイルで交換した景品の体組成計で昨日届いた。こいつの上に裸足で乗れば体重、BMI、体脂肪率、筋肉量、推定骨量、内蔵脂肪、基礎代謝量、体内年齢が一発でわかるってシロモノらしい。どうしてそんな事が乗っかった足の裏からだけでわかるんだろうか?説明によると細胞内液と外液のバランスを測定するリアクタンステクノロジーって技術らしい。わけがわからん。脂肪は電気を通さないが筋肉とかは電気を通すなんて説明もある。やっぱりわけがわからん。ま、とりあえず乗ってみるか。58才のメタボリック腹ぼて男、内蔵脂肪はやや過剰肥満間際を示したが、体内年齢は「52才」と出た。ええっ!おい、うれしいこと言ってくれるじゃないか。体内年齢は70才ぐらいかと思ってたぜ。数値を少なめに見積もってくれるやさしい配慮があるのかな。記念にブログに残そう。

甘くて苦い話


 BS海外ドキュメンタリーの番組で大手の食品会社が扱うチョコレート材料であるカカオを扱っていた。最大の原産地アフリカのカカオの生産地では人身売買による子供労働者の存在が密かに知られているという。もちろん違法。取り締まる組織もようやくできたようだが、闇に隠れて今もなお続いていると言う。世界中の空港にチョコレート菓子が溢れている(ホント、あれ、異常だと思わない?/私の意見)が、それらは安いカカオ豆の生い立ちに支えられているのだ。現地の子供は甘いチョコレートなど食べた事は無い。思い出せば、某有名なコーヒーチェーンSのコーヒー豆も原産地では過酷な条件下、安い賃金で働く労働者に支えられていると聞いた。彼らも自分たちが収穫した豆で煎れたコーヒー一杯が自分たちの何日分かの労働賃金に匹敵する値段で売られている事実を知らなかった。チョコレートやコーヒーの香りが漂う豊かな生活も、そんな事実の上に成り立っているのだ。カカオのドキュメンタリーを取材したレポーターが最後にこんな事を言っていた。僕らは「チョコレートをもう少し高い値段で買うべきではないだろうか?」…バレンタインデーを前に甘くて苦い話。

夜の電車の窓はせつない


人影まばらな夜の電車からぼんやり流れ行く景色を持ていると、せつない。

●路地裏の暗い駐車場にぼんやり灯された蛍光灯照明が切れそうに点滅しているのを見ると、せつない
●一人暮らしの爺さんが一つだけ部屋の明かりを灯して風呂上がりにテレビを観ている光景が目に入ったりすると(一瞬だけどそこまでわかる)、せつない
●中華屋の屋上にデカデカとネオン看板で「幻の天津飯」と光っているのを見ると「どこが幻なんだろう?」と思うが、なんか、せつない
●各駅停車しか止まらない田舎のプラットホームの端っこでなぜかしゃがんでいる奴が目に入ったりして、せつない
●駅裏のスナック「ふれあい」の薄明るい入口なんかみると、中で「人間てそんなもんだよな、なぁ」と親父さんが甘えた顔でぐちってる光景が浮かんできて、せつない。しかしこういう安スナックって「ふれあい」とか「ともしび」とか「まごころ」とか店名までなんか甘えた名前がついてるよなぁ。
●車窓に映った自分の顔が妙に老けていて、せつない

肉まん付そばランチ


 昨日打ち合わせに行ったついでに寄った松本駅すぐ横の榑木野(くれきの)駅舎店のランチ。この店、駅でちゃんとした信州そばはが食べられるのはいいのだが、ランチには「そばに餃子」「そばに五平餅」「そばに肉まん」のセット1050円也があったのだ。変わってるよね。といっても餃子はそば餃子、五平餅はそばの実入り五平餅、肉まんはそば肉まんというわけで、そばと関係がないわけではないのだ。よくわからないけど…。肝心のそばは盛りも良くおいしかった。それにしても昨日の松本、雪がなく少しも寒くなかったなぁ。

意識してデザインしている。


 上は先日ポルトガル/ポルトの空港に降り立った時に見つけた大きな広告サインボード。たぶん年間の利用客数が6百万人だったことを感謝する内容だと思う。全体がブルーのグラデーションをイメージさせるカラーリングで、左のハート模様もふまえて伝統の藍色のアズレージョ(装飾タイル:下写真)を連想させている点が面白い。

もっぱら感じていること


某芸大の講師をさせていただいている関係でデザイン学部から卒業制作展発表会の案内が届いた。毎年、作品を見るのを楽しみにして出かけている、いつも学生の発想の面白さに驚くのだが、作品を見ると年々「カタチを作ることにエネルギーが使われてしまって、大事な原点が充分に追えないでいる」作品が多くなっている傾向にあるのが気になっている。
で、案内状を読みながら思い浮かんだ事を記しておこう。

企画、策略、戦略、画策、攻略、方法、アプローチ、手法…
企画の仕事をしているが、いつしかこういうものにあまり興味を持たなくなった。
上に並べた言葉はすべてそれ自体が目的じゃない。
だからこれらの言葉に元来魅力はない。
お手伝いをしている芸大でも学生にこう教えている。
「企画に走るな。企画に酔うな。企画バカになるな。企画は目的じゃない、原点に帰って目的を知れ。」
商売でも何でもそうだと思うけど、原点で大事な事柄は、
たいがいはシンプルにストレートにこのことだ。
「人は何に喜び、何に感じ、何で満足を得るか。人の欲望とは何か。そしてそれを与えることができるか。」
それがすべての羅針盤なのだ。
それらが十分に具体的に研究されていなくては何も始まらない。
特に「感じる」という部分が重要だ。
理屈で売れる商品は本物じゃない。理屈で動くのはお役所とマスコミだけだ。
究極のドメスティックは「個人の喜び」であって、それが社会の基本的原動力だ。
自分自身も
生きる事のどこがうれしいことなのか、
仕事のどこが楽しいのか具体的に理解できていないと企画の仕事をする資格はない。
社会も町も会社も個の集合体に他ならない。
もっぱら個の喜びに興味を持っていること。もっぱら感じていること。
いつだって、これが大事なことなのだ。