2011年07月の記事

45年後の修学旅行


 今日は学生時代からの友人たちと毎年恒例のドライブ旅行に行くことになっている。今回はなぜか「奈良」。題して「ちゃんと見ようよ奈良ー45年後の修学旅行」。東大寺、興福寺、薬師寺、法隆寺…、泊まりは平城京跡、修学旅行以上の精力的なお寺巡りが計画されている。熱中症で倒れなきゃいいが。今年は春に長谷寺の桜を見に行ったので奈良づいている。法隆寺1,000円。お寺巡りはいいが、拝観料も重なるとバカにならねーなぁ。

感謝状


 今日は正午でアナログTV放送が終了する日だが、わが家にはまだ2台のアナログテレビがいる。いざ終わる段になってみると、大型デジタルテレビを見た後に、今までなんという荒れた画像を見ていたんだと蔑んだことを深く詫びたい気分である。よーく働いてくれた、と感謝状を贈るべきである。でも、レコード盤や真空管オーディオへのこだわりを持つ人がいるように、アナログテレビも「やっぱりこれでないと味が出ないなあ」なんて誰かが言っていたりするのだろうか。

ゴーヤ、ゴーヤ


 昨晩はわが家でゴーヤチャンプルチーズ入りを食べた。義理の母が持って来てくれたゴーヤである。今日はゴーヤのきんぴらを食べた。ゴーヤは今や全国区かな。どこでも栽培しているし、あちこちの店で見かける。今年は省エネ対策でゴーヤ栽培で日陰を作るなんてのも流行ってるし。沖縄の旅情ではなくなったゴーヤの味、果たして本当にうまいかどうか。

京都の氷


 昨日は京都の祇園祭「宵山」に出かけた。これはとある和菓子屋さんの店内で見かけたディスプレイ。楽しい和小物が詰められた氷。キレイです。汗ぐっしょりの京都でしばし和む瞬間。

自然にランダマイズ


 写真はJR名古屋駅南口である。で、終わると、ただの普通の写真で終わっちゃうのだが、これは「リニア・鉄道館」にある巨大ジオラマの一部。わずか1mぐらいの範囲の絵柄なのだ。ここのジオラマは鉄道模型もさることながら描かれている風景のあちこちに点在する人の姿が実にリアルでそれを見るだけで十分楽しめる。さて、なにげない駅の描写なのだが、ここに並べられた人々の配置が実にうまいと思う。「自然にランダマイズ」というか、作為を感じさせずにリアルな感じで人形をランダムに配置するのは結構難しいことだと思う。この他にもおびただしい人形が並ぶ屋外コンサート風景とかちょっとしたガード下の朝市とか見所いっぱいのジオラマである。

トマト冷麺


 今日のお昼はわが家で、SAで売っていた東北応援系商品、岩手県​「トマト冷麺」。「盛岡冷麺」は有名だけど、このトマト冷麺、麺​は冷麺風のシコシコだけどスープはあっさりトマト味でバジルの粉末入りのイタリアン風味ってゆーか、なかなか不思議ながら憎めない味。東北応援系商​品といえばこの間、「盛岡じゃじゃ麺」も食べた。応援というより​興味本位で買った。少しは応援できたのかしらんね?

榛名湖



 遠く見知らぬ土地に来て、見知らぬ湖を眺めている。なんてのもたまにはいいね。風が気持ちいい。

うどんの中にハートと星?


 水沢うどんといえば日本三大うどんのひとつ。水沢観音あたりの道沿いに13軒ほどのうどん屋が並んでいる。群馬にでかけた私らはその中の「三枡屋」に入った。昼時ともなればどの店にも観光バスがどっと押し寄せて満員なのだが、この店は団体客を受け入れていない小さな店。メニューも「もり」と「かけ」各500円とそれぞれの大盛り600円のみ、といたってシンプルで、他の店の媚びた感じの高いうどんと違って全店の中で一番安い。かけを注文。だが、やはりそこは水沢うどん、親父さん打ち立ての透明感のあるつややかなうどんをあっさり系のつゆに絡めていただくと絶品である。すると誰かが叫んだ。あれ?麺の中にこんなものが!。なんと麺の中にハート形のうどんが入っていたのである。聞けば星形が入っているものもあるという。別に七夕だからってわけじゃないらしくいつものことだそうである。なんか朴訥した店構えと頑固そうな親父さんの風情からは想像つかない遊び心。その可愛らしさににっこりした。

峠の釜めし


 上信越自動車道上りの横川サービスエリアにはあの「峠の釜めし」で有名なおぎのやの立派な店舗が構えている。驚くことに、店内にはよこかわ駅を模して列車が展示してあり、その列車の中の座席に座って「峠の釜めし」弁当が食べられるようになっている。高速サービスエリアで駅弁気分というのはオツである。サービスエリアの敷地内には食べ終わった釜めしの「空き釜入れ」なる物が設置されている。昔は持ち帰ってご飯を炊いたりしたこの陶器製の釜も、食べ終わったら要らない人も多いのかもしれない。IHクッキングヒータじゃ使えないし。再利用してくれるならまだいいが、なんかもったいない気もする。


Sence of Wonder


 今日、某企業の企画会議で「庭の楽しみ方」についてブレーンストーミングをしていたら、誰かのメモからレイチェル・カーソン著の「The Sence of Wonder」のことが出てきた。小さな自然や日常から驚きを感じとる感性…。食事にも草木にもテレビ番組にも日常にも社会にも関心を持てなくなった親父のことを思った。親父だけではない。僕もいつか全てに興味を失い、驚きを感じる心を忘れてしまう老人になるのだろうか。