2011年05月の記事

鯉の季節


 といっても鯉のぼりではない。今朝伊賀川を散歩していると、鯉が18匹ぐらい浅瀬に集まっていた。バシャバシャとなんか元気がいいので見ていると、一匹の鯉に他の鯉が何匹もぶつかったり乗っかったりちょっかいをかけているようである。通りすがりの散歩中のおじさんによれば、「今は鯉の産卵期なのだ」という。春から初夏にかけて水温が上がるとコイが集まり、 バシャバシャと水音を立てながら水草に産卵・放精を行うというのだ。ふーん、鯉の産卵なんていままで意識したことが無かったのだが、考えてみれば鯉にも恋の季節があるわけやね。

遠い祭り


 祭りだ。今日と明日が本祭りなのか。同じ市に暮らしながら、生まれた町の祭りを離れて年十年にもある。祭りが力を失いつつあると同時に僕の祭りの思い出も少しかすみを帯びてきた。毎年祭りの光景は見ている。しかし祭りをやっている当事者と遠くから見るのとでは全く違うのだ。わが町の祭りをまるでよそ者のように外から眺めているのはなにか少しさみしくもある。

想い出って?


 先日行った奈良の長谷寺。昔、大学生になったばかりの頃だったか、カミさんとデートというかドライブというか、この辺りに一緒に来たことがあって「覚えているか?」と聞いたら「なんとなく覚えている。この階段覚えている」と言った。長谷寺のこの長い登廊は確かに記憶の留まるほど印象的なのだ。「近くの室生寺にも寄ったと思うけど覚えているか?」と聞いたら「行ったような気がする」と答えた。で、室生寺に足を運んでみると寺前の川も印象的な太鼓橋も僕自身記憶に無い。初めて見るような景観である。よーく考えてみるとその時、室生寺には寄っていなかったのではないか。記憶というのはいい加減なものである、というたわいのない話。「なぜにあなたは京都に行くの」なんて歌が流行り、アンノン族が日本の古都を歩き回ったあの時代…。

町のゆるデザイン研究:その6


 前にも触れたが、古いタバコ屋さんのショーウィンドウによく飾られているのがこれ。タバコのパッケージを利用した折り紙工芸である。これは全国的にあるようで、どうしてこういう世界がそこらじゅうで発生するのか不思議である。もともと店ができたばかりの時にはそれなりのディスプレイが施されていたであろうショーウィンドウだが、商売形態の変化と共にだんだん飾る必要がなくなり、空間の穴埋め的に行われて来た感もある。なので、マッチ棒細工、普通の折り紙、編み物、人形など、家主の趣味で飾りなら何でもありのウィンドウになっていったりする。その素朴な緩さがたまらない。この郷愁はいつまで残ってゆくのだろう。やがて消えてしまうだろうか。

豊田市でランチ



 昨日のランチ。豊田市にあるフランス田舎料理の「○○○○モコ」で、自慢のハンバーグランチ1,470円に前菜、スープ、デザート、ソフトドリンクのコースセット850円をプラスして2,320円也。生ハムとジャガイモのスープがおいしかった。ハンバーグは凝り過ぎ。腹一杯になって夕飯を抜いた。

すずらん


 義父が持って来てくれたスズランの花がわが家にある。このスズランは3月に亡くなった母が以前、義父に分けたものだった。母親のスズランはすぐに絶えてしまったが、義父はそれを家で大切に育ててくれていて、今年も花を咲かせたと持って来てくれたのだった。スズランの花は小さく可憐だが、わが家にすがすがしい香りを放っている。

タケノコ


 筍をいただいた。筍はこの季節の楽しみでもある。僕は筍が大好きで、ドンブリ一杯あればドンブリ一杯食べてしまうのだ。この季節のやわらかな筍、その食感、その甘さとかすかな渋み、なんか食べ物というより風景絵画を味わうような豊かさがある。

出陣式


 岡崎公園の藤棚に弁当をもって出かけたらなにやら騒がしい。出陣式が始まるという。岡崎市にも武将隊ができ、その出陣式をやっていたのだった。その名も「グレート家康公“葵”武将隊」、9人のおもてなし武将隊である。武将ブームを受けて名古屋おもてなし武将隊が人気だが、その遅ればせながらのあやかりではある。が、家康と言えば岡崎、戦国武将と言えば三河武士というわけで、この岡崎にこそ無くてはならぬ武将隊とも言える。観ている岡崎人からいうとちょっと気恥ずかしいけど、短い期間ながら、一同かなり覇気のある演武を見せてくれていたので、期待しようじゃないか。