2011年04月の記事

49日


 昨日、母親の四十九日の法要をすませた。月日の経つのは早い。しかし、一人の人間が亡くなると、ずいぶん大変な作業を強いられることに気づかされた。葬式から法要の手配だけでなく、例えば仏壇飾りの作法、供物の位置の学習、香典返しの配慮、位牌購入と名入れ、火葬証明書に納骨申請、細かい所ではお坊さんに出す饅頭の手配などなど、それはそれは日常に無いおびただしい数の作業が待っているのだ。おまけに故人の市役所での手続き書類が山ほどあり、あちこちの窓口を転々とし何度も何度も住所と氏名を書かされるハメになり、微細たるものの故人の銀行定期預金の処理で故人の過去をさかのぼって戸籍謄本を取りに遠方に出向いたり、委託書やら承認書やら印鑑証明やら、もういい加減にして欲しいと思えるほどの作業量である。ちょいと疲れた49日なのだ。

テレビは要らない


 僕が某大学でやっている授業はデジタルルームを使っているので学生のデスクにはiMacがずらりと並んでいる。当然ネットも見る事ができるので、授業中僕の話は聞かずネットを眺めている学生も中にはいる。先日教室を回っていると熱心にYouTubeの映像を見ている学生がいたので聞いてみたら、今は情報も娯楽もネットで、テレビはほとんど見ないという。テレビは無くてもいいのだという。他の学生に聞いてみても、テレビはあまり見ていないようだ。やがてテレビはいらなくなる時代が来る?ってゆーか、メディア形態がスライムのように自由変化している時代なのだ。意識革命としか言いようが無い。旧来のテレビメディアの方々には大変な時代が来ていることを実感。

切断


 昨日朝起きてみると、マンションの駐輪スペースに置いておいた僕の自転車の鍵が切断されて落ちていた。自転車は盗まれているわけではない。盗もうとしたが自転車が安物であることに気づき止めたのか、それとも自転車を無断借用して戻したのか、それとも遊びなのか、どこのどいつがやったのか知らないが、実に不愉快である。わがマンションには防犯カメラが設置されているのを承知の上の狼藉か。もっとも、この鍵、100均ショップで買ったシロモノで、切断はいとも簡単、気休め程度で防犯の意味があまりないもの。もうちとマシな鍵を買いに行ったのだが、今度こんなことがあったら完全追求しよう。

町を織る糸


 昨晩は岡崎市内の料理屋で、豊田市と岡崎市で町づくりを画策する人物が出会って話し合う席に同席した。こうした話にはひきこもりが続く僕は最近とんとご縁が無かったのだが、決して情緒的ではなく、現実的で論理的な話が盛り上がっている様子を楽しく思えた。町を動かすムーブメントには役所レベル、政治レベル、商業レベル、文化人レベル、NPOレベル、庶民レベルなどいくつかの層があって、そこに年齢レベルや意識レベルが折り重なり遠目には町がグレーな色合いになるのだが、ときおり特殊な色合いに織り上がることがある。どこかに素敵な色合いの糸はないだろうか。豊田も岡崎も新しい世界を求めて探している。

日本一おいしい米を食べる


 先日出かけた下呂には日本一おいしいという米「龍の瞳」がある。2株の変異種から誕生したコシヒカリを越えるおいしい米。これをいただこう。ご飯を見るとすぐにわかるその粒の大きさ。通常の米の1.4倍ぐらいあるという。ご飯全体が黄みがかっているのは胚芽付きだからだろう。どれ、さっそく。うんまい。粒が大きいからといって大味ではない。豊かな米の香りとふくよかな甘さ、奥行きのある味である。噛みごたえも違うので、誰にでもわかるおいしさだと思える。これは少々の漬け物だけで十分おいしい食事になるなぁ。さて、この龍の瞳、購入しようとすると1kg約1,050円ぐらいでやはりお高い。IH炊飯器だとおいしく炊けない場合もあるらしい。いただいたご飯は深い土鍋で炊かれてものだった。だよなぁ、炊き方にも心を配らなくちゃなぁ。

トマト丼


 一昨日は岐阜県の下呂温泉に出かけた。というわけで、昼ご飯に下呂特産のトマトと飛騨牛を使った「トマト丼」なるものを合掌村近くの店でいただいた。ひところ町おこし的なメニューとして話題になり気になっていたが、はじめて食べることができた。どれ、ふむ?簡単に言えば牛丼の上にダイス切りした生トマトを載せたイメージ。店の説明によると味付けにはフランス産の調味料が使用されているという。桃太郎トマトの甘さと酸味がからんでおいしいが、僕とすれば期待するほどのインパクトは感じられず微妙。むしろ別に注文したかけそばの方がおいしかった。

町のゆるデザイン研究:その5


 これはとある銀行の窓口である。ふと左を見るとローン相談コーナーの案内POPがあった。わざわざ白紙でアウトライン文字をプリントして色鉛筆で丁寧に塗り分けしている。下を見るとアンケート用紙の回収箱らしいが、こちらは凝っていて、カラープリントしたカエルのイラストがハサミで切り抜かれて貼ってあるのだった。箱の側面にも装飾が施されている。いつものように、これらのゆるデザインが銀行業務にどうして必要なのか批評したいところだが、この、まるで幼稚園のような手づくりPOPが銀行や郵便局になぜ多く見られるか、考えてしまった。海外の銀行では考えられないことだろう。手作り感100%で福祉施設なんかのプレイルームのようである。これらは各支店単位でやられていることらしく、熱心な所とそうでない所があるのは面白い。本来の伝達目的を飛び越えて、単に制作者のノリが反映された遊び過ぎの展示物も時おり見受けられて面白い。これらは支店の従業員が時間を割いて制作するんだろうか。どうも地域サービス機関として町の人々に親しまれる銀行の演出ということらしいのだが、その点でいえば、まんざら効果がないわけではない気もする。逆に洗練されたPOPでは意味が無いのだ。いつからこんなことが流行り出したんだろうなぁ。

数独


 カミさんが新聞に載っている「数独」パズルでヒマをつぶしている図である。実はわが家はつい最近まで数独を知らなかった。以前日本が火付け役になり爆発的に流行し、Sudokuは世界共通語にまでなったらしい(パズルの元々の考案者はアメリカ人らしいが)。知人からハマっているという話を聞いて遅ればせながらようやく知り、カミさんもやっているのである。引きこもっているわけではないが、ちょっと目を話していると、巷で大流行していることにも盲目な生活になっているという事例であった。

飛昇竜弁当


 食べ物の写真ばっかりだ最近。さて私も食べた徳川家康公弁当・律身出世「飛昇竜」。徳川公由来の弁当で、しっかり読み応えのある由来書付き。徳川家康公がなぜ長生きで元気だったかというと粗食志向であったからという。というわけで弁当は粗食かと思ったら由来の品々を全部詰め込んだのでにぎやか。少しも粗食ではないのだった。でも、おいしかったけど。

菜めし


 これは、某定食についた「菜めし」。この清貧な感じのする食べ物は僕の好物の一つである。「最近の菜めしって香りが無いよね」などとカミさんと話をしながら食べる。今は、料理店で食べる機会しか無いけど、子供の頃は親が実際に家で作ってくれた。細かく刻んだ大根の葉をから煎りして塩をまぶし(菜めしは塩が利いていないとあまりウマくない)釜に入れて焚く。大根の香りがご飯からつんと立ち上がらないと雰囲気が出ないんだなぁ。最近は菜めし用の乾燥粉末が出ていて、これを炊いたご飯に混ぜるだけという類いが多いから香りが今ひとつなのだ。菜めしといえば菜めし田楽が絶妙なカップリングだが、最近は味噌田楽の強い味噌の甘さに菜めしの香りがすっかり消されてしまって、菜めしのアイデンティティが弱くなってしまった。