2011年03月の記事

緊急報道とDVD

日曜日、DVDレンタル店にカードの書き換えに行ったら店の中はたくさんの人で埋まっていた。カミさんいわく「全テレビが一日中報道番組なのでDVDでも見ようかという客が増えたんじゃない?」という。なるほどそうかもしれない。ほとんど被害が及んでいない中部地区では緊急報道番組の影で名古屋市議会選挙が行われ、名古屋港ではリニア・鉄道館がオープンし、いつもとかわらぬ日常が展開している。東北の人々が苦しんでいる最中にウマいものを食べ、ぬくぬくとした部屋で借りてきたDVDを観ている。明日は我が身か?ならば明日まで楽しむか?……

Peace Japan

Peace Japan

記者会見

 福島原発に関する保安院の記者会見を聞いていると、少なからず苛立ちを覚えた。あらかじめ記者たちに配られた書類を持ちながら「何ページの何番については…」などと中継を見ている国民にはサッパリわからぬ説明をし、なおかつ、書類の頭から専門用語と共にまわりくどく抑揚も無く説明しようとする様子が、お役所的というかまったく意味をなさない会見に思えたのだった。一生懸命やっているであろうことは承知するが、これで広報係とは首を傾げる。物事を伝えるプロとして何をすべきかが分かっておられない様子だった。この緊急時だからこそ、誰にもわかる言葉で的確な事象の伝達を行うべきなのであって、現状と問題点、それに対する対応策とその効果、そして今後の展望を、ぱっぱっと回り道せずに短く伝えなければ国民の不安は募るばかりになってしまう。今回に限らず、ものの本質を的確に捉えて整理せず、内容をわざとぼかしているんじゃいないかと思われるようなお役所的な説明はあちこちで見聞きする。最近、特に政治家がよく使う言葉が気になっている。「その件に関しては○○であろうかといった認識でおります」と言う。これって「そう思っています」のひと言で済むよね。自分が思っているとすんなりは断定したくないらしい。最近は企業の会見などでも流行りのようにこの認識という言葉がよく使われるようになってきた。はっきりとものの本質を伝えないといった事象に関しては、当方、いささか問題があるのではといった認識でありまして、憂慮すべき内容が含まれているのではという認識であります。

春は来るか


この未曾有の日本の窮地に
乙川(岡崎市)の堤防で河津桜を眺めて、
豚汁を食べている場合か。
明日は我が身ではないか。
みちのくに、ただちに春が来るとは到底思えない。
それでもやがて春は来るというのか。
そういえば
福島県の「三春の滝桜」を見にいったことがあるなぁ。

芸文で地震


 昨日の東北沖大地震の時、僕は名古屋の芸術文化センターの8階にいた。講師をしている関係で芸大の卒業制作展の作品の寸評をしているときだった。名古屋でも高いビルの上ともなるとゆらりゆらりとかなり揺れた。たくさんの学生がいたが、怖がった学生の中には受付のテーブルの下にもぐり込んだ者もいた。美術館の展示会場は天井が高く空間が大きいので、揺れる物と行ったら天井の小さなスポット電球ぐらいで、なにかが揺れる様子がすぐにはわからない。ただ部屋全体がふんわり揺れる感覚は気持ちが悪いものだった。もしエレベーターが止まってしまったら、と心配していたら5分ほどして当館はそのまま営業する故を告げる館内放送があった。そして帰りの電車内の電光掲示で地震被害の重大さを知ったのであった。

町のゆるデザイン研究:その4


 これは先日出かけた中国は三亜鳳凰国際空港のトイレにあった表示プレート。この「向前一小歩 文明一大歩」は以前にも紹介したが、中国の主な空港や観光地のトイレの男性便器前にはよくあるもので「ちょっと前に出る小さな一歩はマナーの偉大なる一歩である」という意味。つまり便器下を汚すなということ。文明というと大げさだがここでは、マナー文化といったニュアンスらしい。これが上海とか広州とかの大きな空港ならゴシックの文字だけのシンプルなプレートになっているのだが、中国最南端「海南島」の田舎の空港となれば、ここまで媚びたゆるいデザインが登場してしまうのだ。こんなにカラフルにする必要はないでしょ。文字にグラデーションかけたりして読みにくくて仕方ない。書体も素人の好みそうなもの。おまけにバックに、なんでくまのプーさんの絵柄が薄く入っているのだろうか。まったく意味も脈絡も無い。下の小さなプレートは便器の番号を示すものらしい。しかし見にくい。飛行場なのでヒコーキのイラストか?飾り罫までサービスして、無駄なこときわまりない。これらは確かにPCの普及による弊害である。