2010年04月06日の記事

地図が描けない

昨日は、講師としてお手伝いをさせていただいている芸術大学の入学式であり、全教員のミーティングが行われた日で出かけた。毎年恒例のように、先生方から「この頃の大学生」について話題がのぼる。いわく「ここ数年でさらに学生の質が大きく変わった」「昔はできていたことが、今は伝わらない。まるで言葉がわからないようだ」「基本的な自立性が無く、集中力も無い。大学での時間を軽く流しているようだ」「価値観もステレオタイプで、教師の言葉もただの行動信号としか捉えていない。情報が単に記号化しているようだ」「物事の実を知ろうとする好奇心も努力も無い」「楽に生きる事、考えないで過ごす事に慣れてしまっている」と悲観ばかりである。これは、あらかじめ学生らに期待すべきものか、それとも今になって大学教師が導くべき課題なのか…。さてその中に「今の学生に地図を描かせたら、自分が毎日通っている通学路さえ描けない人が多いのには驚いた。降りた駅と到着点しか描けず途中何も見ていないのだ」という話題があった。若い人個々の世界は、何のとっかかりもなく社会の表面で自動的に流れているだけなのか。