2010年04月の記事

病院に行こう:救急治療室

医師達は僕をベッドに寝転ばせるや否や、全ての衣類を複数の手ではぎ取り、生まれたまんまの姿にさせた。医師と看護師たちのやりとりが聞こえる。「酸素マスク付けました」「心電図OK」「点滴入れます。ちょっと痛いですよ」「下の方の毛を剃ります」「尿管にチューブ入れます。消毒します」「おむつ巻きます」「シート載せました」……。「おいおい、これから俺はどうなるのだ」。ということで、救急治療室からすぐさま緊急手術室へ運ばれる。といっても心筋梗塞の場合はまずは、カテーテルという細い線を血管に入れて心臓まで到達させ、造影剤を使って心臓の血管の状態を映し出すのである。で、患部が見つかれば、そのままカテーテルで治療してしまうのが一般的である。動脈にカテーテルを入れるには腕、太股、肩のどれかだが僕は太股から。部分麻酔が効いているので最初血管に線が入って行く違和感はあるものの、痛くは無い。僕は「うまいこと頼んます!」と医師に声をかけた。僕の左にはモニターがいくつかあって、僕自身自分の心臓の血管が確認できる。医師達は複数いて若い。とりかわす会話も若い。「ねぇ、もうちょっと前がいいんじゃない」

「理想を言えばここだけど、妥協点というのもあるからね」

「こっちはどうなのかな?」「こっちもいっちゃってるかな?」「心不全を起こすような心臓には見えないけどな」…、モニタールームで検討を始めた先生達を待って、看護師たちが言う「ばかに時間かけて協議しているわねぇ」「患者さんをベッドに移し替える時、先生達も来て手伝ってくれないとこまるわ」。全てが聞こえているだけになかなリアルである。君たちに任せるしか無いが、たのむぜ。

病院に行こう

更新が途絶えていたが、ようやく娑婆に帰って来た。入院していたのだ。小学生の特に扁桃腺の手術で入院した時以来、というか初めてに近い入院の経験である。病名は「急性心筋梗塞」。生死を分ける、僕にはもったいないような立派な病名である。バンコクから帰った明くる日、なんか胸のあたりが苦しくて(バンコクの空港でも息苦しさを感じていた)、町の病院に行ったら、診断の結果「こりゃ、心筋梗塞だよ!よくひょうひょうとしていられるねぇ?今から救急車呼ぶから、すぐに市民病院に行きなさい!」とのこと。「えっ、僕、車で来ているんですが?」ということで、自分で車を運転し(これは大変危険な事であったらしい)、市民病院の救急外来に、自ら歩いて入って行った。つまり、僕は「心筋梗塞で倒れた」わけじゃなく、歩いて行ったのだ。

そこから、僕は素っ裸にされ、すべて下界と遮断された。

突然、与えられた病院の休日は、なかなか刺激的で面白かった。よく、入院した人が「病気自慢」「入院自慢」をするように、僕もこのブログでしばらく入院という日々をレポートして見ようかと思っている。ベッドサイドには常にデジカメ置いていたのでね。乞うご期待。

バンコクから

バンコクは暑い。熱い。

どこでもドア

「どこでもドア」

だから、カメラは手放せない。

会議は笑う

一昨日は名古屋に打ち合わせに行って来た。某クライアントさんのスタッフと新製品の広告戦略についての会議である。当然のように市場の動向分析や商品企画の経緯やらの書類が机の上に広がるのだが、真面目なプレゼンの間にも、僕は駄ものやゲテものまで含めて頭に浮かんだとんでもないアイデアをすべて口に出して話すことにしている。「そりゃ、いくらなんでもぅ」という笑いが生まれる。そうすると会議が解きほぐされ、スタッフの思考回線に血流がめぐり、素晴らしい現実的なアイデアが思いも寄らぬ人から飛び出して来たりするのだ。そういうのを何乗も繰り返して行くうちに煮詰まってくるのだ。この時の会議ではスタッフの笑顔がたくさん見られた。こういう時の会議はうまくゆく。黙りこくっている会議など会議ではない。

伊賀川の桜が無くなる!?

伊賀川の桜が見られるのは今年限りなのか?!昨年8月の東海豪雨はご存知だろうが、県では川の氾濫に備えるため伊賀川の護岸工事を進めている。しかし、三清橋-猿橋付近までの約2.4kmの区間481本の桜のうち約45%に当たる220本を改修工事の支障になるとして、今年秋ごろから伐採や移植をする予定だという。伊賀川の桜は美しい桜の散歩道として内外から訪れる人も多く、親しまれている所なのだが、これだけの伐採(移植したものをまた戻すならいいが)となると、これは大問題である。ソメイヨシノには寿命があると聞いたが、伊賀川の老木が生を全うするまでもなく切られてしまうのは残念である。新しい桜の植樹もままならぬ状態なのだが、今から植えたとしても伊賀川のこの美しい景観はいったん何十年か幕を閉じる事になってしまうだろう。黙っていられない人が「伊賀川桜保存会」なる市民活動団体を立ち上げ署名を集めているようである。僕にとって伊賀川の桜並木は通学路にもなっていた想い出深い道であり、子供の頃から人生を貫いている風景なので、なにか大事なものを削ぎ落とされる気分である。伊賀八幡宮から東にある橋のたもとに「懐勲桜の碑」が建っているのはご存知か。伊賀川の花咲かじいさんの話はご存知だろうか。この桜には歴史があるのである。「しかたない、また植えればいい」などと早計な判断をするには、あまりに大きな存在の桜である事を県はご存知なのか。

地図が描けない

昨日は、講師としてお手伝いをさせていただいている芸術大学の入学式であり、全教員のミーティングが行われた日で出かけた。毎年恒例のように、先生方から「この頃の大学生」について話題がのぼる。いわく「ここ数年でさらに学生の質が大きく変わった」「昔はできていたことが、今は伝わらない。まるで言葉がわからないようだ」「基本的な自立性が無く、集中力も無い。大学での時間を軽く流しているようだ」「価値観もステレオタイプで、教師の言葉もただの行動信号としか捉えていない。情報が単に記号化しているようだ」「物事の実を知ろうとする好奇心も努力も無い」「楽に生きる事、考えないで過ごす事に慣れてしまっている」と悲観ばかりである。これは、あらかじめ学生らに期待すべきものか、それとも今になって大学教師が導くべき課題なのか…。さてその中に「今の学生に地図を描かせたら、自分が毎日通っている通学路さえ描けない人が多いのには驚いた。降りた駅と到着点しか描けず途中何も見ていないのだ」という話題があった。若い人個々の世界は、何のとっかかりもなく社会の表面で自動的に流れているだけなのか。

ステーキは右から

レストランでステーキを食べる事は滅多に無い。家でも滅多に無いが、たまに食べると僕のステーキの食べ方が問題になる。皿にのったステーキを僕は「右」から切るからである。カミさんが言う。「バカじゃないの?それじゃ、効率が悪いでしょ」ステーキは、左手にフォーク右手にナイフを持つ場合、左から切り、フォークをそのまま口に運べばいい。右から切るとナイフとフォークを交差しなければならなくなる。なぜ、そんなクセがついたのか自分でもよくわからない。理屈はわかるのだが、ついつい右から切ってしまう。ちゃんと指導を受けなかったからか。日本料理では魚はほとんど頭を左にして背びれを上にする。ごくまれに頭が右を向いていると相当の違和感がある。身に付いてしまったクセを直すのは難しい。

サルサソース

昨日は花見をかねて訪ねて来てくれた友人らが「桜餅」と「トルティアチップス&サルサ」を持参してくれた。どちらもわが家の好物である事を知っていてくれたのだ。桜の香りとサルサのチリの香りが部屋に漂う。トルティアチップスはプレーンでなくてはいけない。塩味やらチーズ味やら味付けされたチップスではサルサの味が楽しめない。だがこのプレーン味はなぜかわが家周辺では手に入りにくく、好きなのに疎遠になりがちである。ありがたい。サルサソースは世界の傑作だと思う。アボガド&チーズもいいが、野菜で作ったディップ、トマトのサルサソースが一番である。さりげないおつまみだが、コーンやらトマトといった簡単な材料で、人間はこんなにも創造性をもった味をつくり出しているのだと感心する。

話は変わりますが、菅生川堤防にお花見に出かけたら「我が社のぼんぼり」を探してみて下さい。


家康公検定

岡崎市、市観光協会、岡崎商工会議所が「岡崎 家康公検定」を実施するらしい。いわゆるご当地検定である。歴女(れきじょ)ブームや武将、江戸時代ファンも多い昨今に併せた企画だろう。「家康検定」自体はネットで拾えば他にもあるが名前が違う。岡崎のものは「公」の文字が付いた「家康公検定」なのだ。以前、市内某所の家康ゆかりの神社で、「岡崎市民なら家康公の名を呼ぶ時はイエヤスコウと呼んで欲しい」と宮司さんが言っていたのを思い出す。僕らは「家康、家康」と呼び捨てで呼んでいるのだが、「公」をつけると偉大な主人を尊び敬まう、顕彰の心が込められている。赤穂浪士の敵「吉良上野介」も地元吉良町では「吉良公」として尊ばれている。実際265年という世界のもまれな平和な時代を築き上げ、日本の文化を開花させた徳川公は偉大な人物である事は確かである。明治維新を日本の近代化と啓蒙する捉え方から「鎖国」を悪しきものとする見方があるが、実際はバランスの取れた外交も行っていた江戸時代は、正に日本が生んだ珠玉の時代だったとも言える。時代は龍馬ではなく家康なのかもしれない。おっと、家康“公”なのかもしれない。