2010年03月06日の記事

メール不快語撲滅?

昨日は、お手伝いをしている芸術大学の卒業制作展を観に、愛知芸術文化センターに行った。講師をしている関係で学生たちのプレゼンテーションに対して寸評をする必要があるので、デザイン学部の学生達の作品をじっくり観させてもらう。毎年、面白い作品や着眼点に出会えるので、結構楽しみにしている。その中でちょっと気になる作品を見つけた。それは「携帯メールで打つ不快語を自制させるために、不快語が打込まれたら文字変換の蘭に別の捉え方、やさしさをフォローする文書が現れるアプリケーションウエア」というものであった。不快語というのは例えば「バカ」「ウザい」「死ね」などだが、その中に「マザコン」ていうのもあるらしいのには驚いた。例えば「マザコン」と打てば変換欄に「お母さんを愛する気持が大きい人」などと人を傷つけない別の解釈が出てくるというものである。現代の若者は友達意識を大切にするため、人一倍気を使っていると言われる反面、ネットやメールで平気で人を傷つける過激な言葉を使ってしまう側面もあるらしい。僕は作成者の学生に「現代を映す鏡のような面白い着眼点だけど、僕はすごく恐さを感じたよ」と評した。その「恐さ」とは、「不快な言葉を定義してしまう恐さ」であり同時に「やさしさを定義してしまう恐さ」なのだ。例えば「バカ」という言葉の使い方にも様々なニュアンスと広い幅がある。“やさしさ”を表す「バカ」もある。このアプリケーション作者が定義してしまうと言葉の領域をかえって狭くしてしまわないだろうか。不快語が短絡的な殺傷信号になっている恐さと共に、言葉の意味の幅にある豊かなニュアンス、人の気持ちを捉える豊かなニュアンスが携帯画面から消えて行く恐さなのだ。