2010年01月の記事

機内でDVD鑑賞

Atom

わかりにくい写真かも知れないが、これは西安から上海に向かう機内でシートの隙間から前の席をのぞいたところである。前の席の中国人カップルは、どうも新婚旅行らしく、喜々としている。シートのテーブルを見るとノートパソコンを置いてそこで例のアメリカ製鉄腕アトムのCG映画DVDを楽しんでいる様子。この映画は観ていなかったのでラッキー。隙間から僕も楽しませていただいた(中国語テロップだが)。で、これが新婚旅行者特有の光景かというとそうではなく、機内を歩くと、シートテーブルにノートパソコンを置き、持参のDVDを楽しんでいる中国人が4人もいたのだ。流行りなのか。変わりつつある中国を感じるなぁ。中国では映画のDVDが安く?手に入ることも関係しているのかなぁ?

兄弟工業

HeibaTicket

中国は西安に行って来た。西安と言えばあの「兵馬俑博物館」である。西安のレポートは「ヨコ旅」で詳しく紹介するが、この写真は兵馬俑博物館のチケットの裏表。チケットの裏を見たら知っている「brother」のロゴが目に留まった。どうもブラザーミシンがスポンサードしているようだ。ブラザー工業は中国名で「兄弟工業」と書くらしい。実は西安のホテルのロビーで日本人ビジネスマンと会った。話を聞くと、彼は西安に工場を持つブラザー工業株式会社の人だった。ここではミシンを生産しているらしい。シルクロードのシルクをブラザーミシンで縫うのだろうか。「いろんなもののスポンサーになっていましたが、最近は数が減りましたね」と語っていた。西安はシルクロードの観光拠点のイメージがあるが、ハイテク産業都市も目指しているとどこかのプロモーションビデオで見た事がある。しかし、どうもいまいち伸び悩んでいるようだ。彼によれば西安には進出している日本企業は少ないのだという。

西安の前に若鯱家

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昨夜はセントレア泊。いつもなら、セントレアで食べる夕食といえば我が家定番の「まるは定食」なのだが、なんかカレーが食べたくなって若鯱家へ。若鯱家といえばカレーうどん。写真は「どんぶりセット」で味噌カツ丼にちいさなカレーうどんがついている。中華料理生活が始まる前にふさわしい日本食である。本日は朝一で西安に。では。

夕方セントレアへ

centrea1001

明日の朝一の便で西安に向かうので、今日は夕方セントレア(中部国際空港)に向かう。最近ちょくちょく利用している空港目の前の東横インに泊まる。このホテルは泊まり客に10日分の駐車料金を無料にするキャンペーンをやっているので、宿泊代が出ても(安いミニダブル部屋、ネット予約割引有)、明日の早朝に家を出る事を考えると、この方が楽で、経済的にも有効な選択肢であることを発見したからである。空港の往復というのは結構ばたばたするものだし、空港依存症の僕にとっては前日の夜から空港を楽しめるのがちょっとうれしいしね。岡崎から中部国際空港まで行くのはたいした事は無いのだが、長野あたりの人々だと大変である。以前知り合った旅行者は、遠く福井からこの中部国際空港の朝一の便を利用するため、深夜に車で走ってやって来たと言っていた。しかも空港の駐車料金が高いので高速代を節約しようと一般道路を走って来たと言う。この旅行者にこのホテルの件を紹介したら「そういう手があったか」と大変喜んでいただいた。

霧の朝

frog

今日の午前7時の伊賀川である。霧が出ていた。昨日からの春のような暖かさで夜露がしっとりと景色に柔らかい印象を与えている。こういう日の霧には匂いがあって好きである。植物系のオゾンの匂い。きっぱりと乾燥した冬のよそよそしさとは違って、なんとなく生命力が反応するというか、日本人にはこういう湿潤の空気が体に合っている気がする。明日からまた寒気が戻ってくるようだが、堤防の桜のつぼみも春を待っているようだ。

ウクレレビートルズ

UkuleleBeatles

部屋にあるカマカのウクレレが眠りについて何年かになる。ウクレレのチューンすら忘れてしまった素人なのだが、ネットを見ていたらいくつかウクレレの「タブ譜」を紹介するサイトを発見した。だいたいがギターのタブ譜がなんであるかも知らなかった私である。タブ譜ではないが、こんなサイトも発見した。「Ukulele Beatles Fun!」というサイトで、Beatlesの名曲をウクレレで演奏できるようアニメーションで見せてくれるのである。写真の曲は「In My Life」。歌詞もほぼリアルタイムで出てくるという懲りようである。コードストロークだけの初心者向けではあるが、なにやら楽しい。ご興味があればお訪ねを。

HDMI

HDMIcable

新しいノートPCを買ったら「HDMI端子」なるものが付いていた。調べると映像出力端子らしく、ハイビジョン映像等を家電デジタル映像機器間でつなぐ物らしい。DVI出力のような物らしいがHDMIの方は音も1本のケーブルの中でやりとりできるそうである。最近のデジカメにもこの端子が付いている。ちょっとうれしいので早速ケーブルを買ってみた。写真のAmazonオリジナルの格安ケーブルである。アマゾンがオリジナル商品として売っているという事はこのケーブル、需要が相当にあると踏んでの事だろう。録画機器とのやりとりもあるが、例えばPS3のハイビジョンゲームなんかを家庭のデジタル大型TVでプレイするなんて需要があるらしい。ということで、パソコンの画面を自宅の37型ハイビジョンTVにつなげて早速映してみた。いいねぇこれ。なんせ大型テレビいっぱいにクリアに映るので、僕のような老眼世代にはうれしい。ネット画面ですらなぜか迫力がある。カミさんと画面を共有するにもいい。ということは、仕事にも使える。先方にデジタル大型TVがあれば、プロジェクターなど要らず、ケーブル1本でプレゼンできる。時代は家電とパソコンが兄弟の様に歩み寄って来ているんだなぁ。

生麩

namafu

仕事の関係でわが家に大量の麩の商品が持ち込まれた。生麩、花麩、京風生麩、麩菓子などなど…。懐かしい。実は僕は、麩のお吸い物が好きである。麩は特に際立った個性を持った味ではないのだが、なんか商品同様、心に染み入る味がする。砂糖のついた麩菓子も懐かしいのだが、なんといっても写真の生麩である。刻まれて煮物なんかに入っているこの生麩は子供の頃から馴染みの庶民的な食べ物で、もちっとした食感がおいしく、うちの親父の好物でもある。全国にさまざまな麩があるが、このようなギザギザの入った(多分味を絡ませやすくした工夫だろう)四角の生麩は、この近辺でしか食べられていない郷土色の強い食べ物らしい。昔はたくさんあった麩屋も現在岡崎市には3軒という。さまざまな食品の陰に隠れて存在感の薄い地味な食べ物だが、これからは気に留めてあげようと眺めたのであった。

ネット価格

kakaku

Win7入りのノートパソコンをネットで注文した。条件を満たす最安の物をと「価格.com」で探したのだが、価格変動のスピードが速いので当惑した。注文した2時間後、同じ店の商品の値段が安くなっていた。といっても100円なのだが…。ところが、さらに何時間後はまた安くなっているのだ。注文後に値段が下がるのは小庶民にとっては、はなはだ心の健康に良くない。ので注文をキャンセルし、値段の推移を見守った。最安値競争をしている業者や店はリアルタイムで他の店の値段をチェックしているらしい。よって一番になろうと10円単位で下げてみたりしている。次々値段が変わって、とうとう2日目に入ったら、当初注文した値段より2,300円安くなっていた。さらに値段は下がるのか。一体、いつ買えばいいのだ。JALの株価じゃないが、とてもお付き合いしていられない。こういう価格というのは、下がる一方ではなく、人気が出てくると各店舗の値段がいっせいに高くなるタイミングもある。ので、「価格.com」なんかを覗くこと自体が健康によろしくないのだ。「欲しい時が買い時」と注文した。ひょっとして今日はもっと安くなっていないだろうかなぁ?

「がんばって」という言葉

news

昨日、夕方のニュース番組を見ていたらお天気コーナーの後でメインの女性キャスターが「明日はさらに冷え込みが強くなりそうです。寒いですががんばりましょう!」とコメントした。僕は首を傾げた。「不思議なことを言うなぁ?誰が何をがんばるのだ?あんたに言われたくはないけど!」と。彼女はテレビの前の不特定多数の視聴者に向かって「がんばりましょう」と言ったのではなくて、ひょっとして、寒い中通勤して働いている自分に対して、つい「がんばらなきゃ」と、口から出てしまったのかもしれない。「がんばって下さい!」という言葉をよく日本人は人に投げかける。まるで「がんばること」が美徳であるかのように。「がんばる」は気を張る、我慢して留まることを表す言葉だが、往々にして逆境や不幸に対して辛抱強く挑んでゆくといったニュアンスがある。「がんばって」と声をかけることは「あなたの置かれた状況は不幸なんですよ」と宣言する意味になる。一般に「働くこと」イコール「がんばること」であるかのように人は捉えるけれど、働く事が苦痛であるという前提に基づいているところが旧日本人的でもある。病気にかかった人にも、人は「がんばって!」と声をかけるが、こういう言葉が要らぬ励ましであることに、当人は気づいていないことが多い。よく言われることだが、うつ病の人に「がんばって」と声をかけるのは逆効果であるらしい。うつの人はがんばるべき対象が無い状態なのであって、がんばる事を押し付けられたような脅迫概念がのしかかってしまうのだ。Fluctuat nec mergitur(たゆたえど沈まぬ)。僕はできればがんばらずに生きて行きたい。「働くこと」は「がんばること」じゃ無いとは、僕の持論である。