2009年04月の記事

新エネルギー

 こんな本を読んだ。自ら積極的にこういう本を読む事はほとんど無いのだが、仕事上、クライアントさんから読めと言われて読んだ。日本経済の勝ち方とあるが、作者は新エネルギー分野での日本への期待を込めている。時代は「燃やさない文明」へとある。太陽光発電、電気自動車、水素燃料、燃料電池、リチウムイオン電池、ヒートポンプ、風力発電と、今こそ産業革命の機が熟したと説いているようだ。以前読んだ「正義で地球は救えない」の本ではニセモノ環境問題ブームを批判する内容であったので、知識が不思議な対比を持って存在する事になった。思うに、今回の経済危機は、経済という怪物の正体を垣間みる機会を得た訳なのだが、世の中は依然、正義で動くというよりビジネスの動きによってダイナミズムを得ている。ほだら?今のタイミングは産業革命ではなく意識革命の時期ではないかとも思うのだが、依然、経済こそが正義であり続けるのだろうか。諸君、なにもかも捨てずに、これからもお金を儲けて豊かに生きて行こう。さて、この本の中に紹介してあった電気自動車のスーパースポーツカー「テスラ・ロードスター」には興味があるなぁ。

キャラクターライン

 これはセントレアにあったサンリオショップのディスプレイ。後頭部のシルエットとリボンだけで、明確に「キティちゃん」である事が分かる。これと似た物に「天才バカボンのパパ」のキャラクターが鼻毛と上唇のラインだけで省略表現したTシャツなんかもあった気がする。これだけでバカボンのパパとわかるのだ。こうして見ると、浸透したキャラクターというのはカーブラインとかボリューム感とかが、認識情報として人間の脳裏に刻まれているということがわかる。人間の想像力と分析力はすごいものだ。逆に言うと、キャラクターのラインカーブはかなり厳密にFIXされた物であるという事も分かる。時おり中国なんかで見かける模造類似品なんかでは、一生懸命真似したようで全然違ってしまっている。一見シンプルでマンガチックな自由曲線ではあるのだが、少しカーブが違うだけでニュアンスが違ってしまう、本当は実に繊細なプロの表現であることがわかる。ほだら?

Speed

 年齢というのは、ふとしたいろんな側面で感じたりするのだが、この間、高速道路を走りながら感じた事、それは「高速スピードが少し恐くなった」ことである。「遅い車の後続のいらだち」とか「高速走行の快感」とかは以前と変わらないのだが、最近は機会が少なくなったためか高速走行すると一種の「不安」を感じるのである。車の性能とか道路状況とかではなくて、イメージとして。こういうタイプの人間はがんがん高速で走っている人間より危険かもしれない。中途半端なのである。ご存知の通り、高速道路でちょうど良い速度というのは微妙なものである。安定しているのは低速か高速かであり、中庸の速度で走ると、車線変更が頻繁になり、かえってドライバー負担が大きい。人生においてもそれは言えるのではないだろうか。ミドルクラスの人間には「揺れ」というものが常にあり、実は相当に疲れているのだ。ほだら?真ん中が一番安定しているというのは尺度の取り違えであり幻想かもしれない。中途半端な中年になってしまった。

ULTRA

 昨日は誘われて、豊田市美術館で行われている「ヤノベケンジ-ウルトラ」展に出かけてきた。彼の超幻想的SFメカ世界は、おじさんにもなかなか刺激的なものだった。退廃と再生の宇宙的幻想とかいうような理屈はいらず、「面白いじゃん」的見方で眺め歩き、この美術作家の子供チックでPOPで執着した発想の発露に興味を持って歩いた。その自由な発想の中に同時にある、いいようのない「囚われ」が不気味でもある。ほだら?世代というものなのか。「ウルトラ―黒い太陽」という作品でパフォーマンスも見せていただいた。巨大な球体彫刻の中で、でかいテスラコイル(人工稲妻発生装置)による高圧の火花が散るのである。美術館の中なので、そのつんざくような音に驚いた。こういう「変な時間」を旅するのも面白いものだ。話は変わるが、豊田市美術館はなかなか美しい建物で気に入っている。僕は美術展にとんと出かけない方だが、たまには現代美術系の企画展なんかにでかけるのもいいかも。愛知県美術館でやっている「アヴァンギャルド・チャイナ」展にも行ってみようかしらん。

カレンダー

 カレンダーを部屋に飾るのはダサイ…、という気持ちもあるが、我が家のトイレにはカレンダーがぶら下がっていて、結構便利である?いたしながらこれからの一週間に思いを馳せるのである。が、この写真を見てもらうとわかるように、我が家のカレンダーはすでに5月・6月の物になっている。これはうちのカミさんの仕業で、いつも早めにベリッと剥がしてしまうのである。トイレのカレンダーに限らず家中のどのカレンダーもこうしてしまう。したがってこの頃になると、今現在がわからず、ちっとも便利なカレンダーではない。なんでこんなことをするのかと聞くと「だって飽きちゃうから」という。早く剥がしても同じ事のような気がするが、カミさんは相当の「イラチ」であると思われる。ま、ということで、我が家は季節が早くやってくる、未来先取りなのである。ほだら?

Macな教室

 某芸術大学のデジタル教室である。僕はここでわかったようなわからないような講義をしている。大量のMacモニターが並ぶ。なので、学生の顔が見にくい。眠りたい学生にとっては好都合かもしれない。もちろん教師卓にもMacがあり大きなモニターやAV機器が置かれているので、座ると教師の顔も見えない。僕は自前のiBookを持って行ってプロジェクターにつなぎ、Keynoteで作った教材を動かしている。教室はデジタルデジタルしているが、講義している内容は相当にアナログであり、学生たちの反応が見たいし、できるだけ発言もしてもらいたいので、iBookのリモコンを持ちながら立ち歩くようにしている。実は講義にPCなどいらないのだ。しかし、実技演習をしてもらうには最終的に個々にPCが必要なのだ。PCはただの道具である。講義内容がモニターに隠れてしまわないよう心がけないといけない。というわけで、僕もKeynoteなど使わずに、次回は白板でやってみたいとも思っている(字が下手なのと漢字に弱いことがバレるけど)。昨日、学生達に「ラフスケッチはスピードだ。ノートに鉛筆で殴り書きが一番」と講義したばかりなのだ。

人魚のおしっこ

 特に意識している訳ではないが、トイレ表示の画像コレクションが国内外を含めて結構ある。これはその中の一つで、九州は九十九島巡りの船着き場にあったトイレ表示。男女サインが人魚になっていた。シルエットがなかなかきれいである。これを写真に収めながら思った事。男の方のサインが男性用トイレに単独でついていると、男なのか女なのかわかりにくいかも。男の人魚ってイメージの中に無いよね。ほだら?それと人魚のトイレってどんなイメージだろう。大小をどうやっていたすのだろう。ほだら?僕は旅先で結構ヒマなのである。

ヤモリ

 啓蟄の時期は過ぎたが、春になると我が家の庭にもいろんなものが現れる。この時期になると庭にトカゲが走っていたりするが、壁にはヤモリ君が登場して来た。夜行性なので主に夜見かけるのだが、雨の多い時期になると庭の壁に一度に4,5匹いたりするので、カミさんは怖がっている。しかし、よくみると実に愛らしい動物で、目が大きく、ふにょふにょしているであろう透明感のある体も指先も可愛い。ほだら?じっとみているとたまにちょいと動く。こいつは害虫を食べるので「家守」といわれるらしいが、延々眺めていても虫を穫っている光景を見た事が無い。虫を捕まえるのは相当に大変だろうと想像する。

伊賀川桜情報:新緑

 うっかりしていた。伊賀川の桜はすっかり新緑となってしまった。昨日はぼんぼりの片付けが始まっていた。なぜうっかりしていたと言ったかというと、実はピンクから緑に変わる一時期の桜が僕は好きで、そのピンクと緑のグラデーションが広がった桜を写真に撮ろうと思っていたからだ。満開の桜もいいが、人影も少ないそのタイミングで眺める桜は日本画のように美しく、情緒的でいくぶん思索のイメージをも持っている。ピンクと緑のグラデーションは、感動のラストシーンが静かなエピローグに変わるような、輝きが艶に変わるような、栄華が平穏に移り変わるような微妙なニュアンスを持っているのだ。桜が散ってしまう事はむしろ「始まり」なのである。ほだら?…いつもの静けさを取り戻した伊賀川には新しい緑の匂いが立ちこめている。

学食

 昨日は某芸術大学で今年の僕の教室がスタートした日だった。午後からの教室なので、僕はいつも昼ご飯をいわゆる「学食」でいただいている。2年前、ここで初めて食べた時は懐かしくて感慨深かった。もちろん学食なので安い。230円から380円ぐらいで食べられる。おかず単品100円なんてのもあって、ありがたい。ほだら?もちろん学食なのでとびきりの味は期待できないが、僕には懐かしさという調味料が加わっている。「本日のランチ380円」の高級品。学生達の間で食事するのも悪くない。ので、毎週の小さな楽しみにもなっている。僕が学生の頃、通っていた大学の学食はお世辞にも美味しいとは言えなかったが、ここの大学の学食はまぁまぁいける。しかし、僕の学生の頃はポークチャプライス200円ですら貴重な出費だったなあ。食堂の学生達を見回すと、男でもサラダ1個だけとか、大豆バー1本だけとか、結構ダイエットしている風の食事風景も見受けられる。バカ食いしている学生はいない。時代は少し変わったなぁ。