2009年01月20日の記事

である調

 僕はブログを始めた頃、文章を「~ですます調」で書き始めたが、今は「~である調」にしている。その方が落ち着く。時には文章が「~だ調」になっていることもある。ただし、「である調」は論文風でエラソーで思い上がったイメージになるのが欠点だ(だ調)。「~です」の方がいくぶんやさしい断定となるが、「~である」は断定的なイメージが強くなるので中身を間違うと「大きな声で激しく間違った」印象となる。こいつは文章作りになかなか緊張感がある。しかし、ブログ文章では少ない「である調」で書いているのは、僕の中に少なからず反骨の意があるからである。

 「~かも?」「~みたいなー」「~っぽい」「~じゃない?」「~だよねぇ?」「(ワタシ)的にはー」「~だしー」「(これデカ)くネぇ?」「〜ってゆーかー」という口語がちまたにあふれて久しい。言葉は生きている。だから、こういった若者が使う言葉をオジサンが否定する気持ちは全く無いが、これら文の語尾につく言葉に共通しているのは「断定的でない」ということである。自らはっきりと断定せず、人の機嫌を伺うような、おどおどとした響きを持っているということである。三河弁でもこういうのがある。「ほだらぁ?」…。これは多くは「そうですよね?」と人の同意を求める場合に使う。こういう言葉はずいぶんまわりに気を使った言葉で、僕は若者達が友達付き合いを最重要事項として捉えているからだと分析している。つまり、自ら断定し、万が一間違っていたり、人を傷つけたりして、自分が孤立してしまう危険を避けるための防衛口語だと思えるのだ。しかし、これらは没主張であり、没個性であり、没自信であるような気がしておじさんは少々危惧しているのだ。これらの言葉を使い続けていると、やがて主義主張が内向的に蓄積され、やがてつじつまの合わぬようなタイミングで大爆発してしまう。世の中にはトゲトゲした人間や豪気な人間が、少しはいても良い気がするのだが、今や社会には少なくなった。リーダーたるべき人物のA総理だって、例外ではない。皆が人に気を使っている。

 だから、せめてオジサンだけでも、と、おどおどしつつも文章を「である調」にして書いているのだ。じゃなかった、書いているのである。