2008年12月の記事

正義で景気は変えられない

最近、読んだ本、「正義で地球は救えない」。ま、話題の本なので読んでみた。CO2排出が原因という地球温暖化問題の嘘臭さ、根拠の無さ、そして世界の政治やマスコミ挙げての異常な大騒ぎ、と環境問題の矛盾をついた内容である。これによればスーパーではエコバッグなどを皆で使うより従来通りレジ袋を使う方がよほどエコであると説いている。これを読まずとも、「地球にやさしい」とか「地球を救おう」とか、僕もこの言葉にはなんかうさん臭さを感じていた。地球環境をどうにかするほど人間は大きな存在ではないし、人間の歴史もハナクソのように小さなものである。この本によれば、地球の歴史では温暖化や寒冷化が何度となく繰り返されてきており、CO2の影響力なんてほんの微々たるものだという。そういえば、オール電化住宅とか電気自動車とかがなんとなくエコイメージになっている点は僕も不思議だった。だって、電気って、大半はCO2を最も吐き出す火力発電にたよっているんだからねぇ。環境をセールストークにする会社がやたら増えてきたことや、CO2排出権売買もなんか変だし、それに興ずるヨーロッパの動きもなんか変。歴史観もイデオロギーも社会システムも複眼で見ないとなにごとも見えてこないが、人間は大いなる自然の一部で、どうしようもなく小さな存在であることを念頭に置かないとネ。景気が悪くなってそれどころじゃなくなっている昨今。人間て結局欲で動いてるよなぁ。ほだら?

ラムネの箸置き

昨晩は名古屋の「豆丁」という豆腐専門店で小さな忘年会があった。学生以来からつきあっているグループで、毎年夏の終わりに一緒に旅行に行ったりしている。で、来年の旅行先はどうしようかという話題になった。話は日本国中を巡ったが、結局、福井の民宿で蟹を食べたいという懸案で合意し、じゃ来年は冬の11月○○日にしようということで、「この日、皆さん予定ある?」と誰かが聞いたが、おいおい来年の11月の予定が入っている人いるのかぁ…?ほだら?鬼でなくとも全員笑った。で、写真だが、何を撮ったのかというとこの店の箸置きである。箸置きが昔なつかしい、ラムネの包みなのであった。豆腐専門店なら、アイデアを一歩進めて大豆菓子の包みでも良かったような気がするが、面白い。豆腐料理のアクセントにラムネをつまむのもオツなのであった。

キーボードの汚れ

僕のデスクトップである。このMac Proのキーボードはデザインはいいが、白いのでよく汚れる。年末大掃除どころか、月に一度は清掃しなくてはいけない。手垢がつきやすいのだ。僕は脂性ではないと思うのだが?…不便である。同じホワイトキーボードのi Bookはあまり汚れないのに不思議。材料の違いか表面加工の違いか…。上の黒いキーボードはG4Macのキーボードで、黒いので汚れは目立たない。目立たないだけで実は相当に汚れている。キーボードの隙間にパンの食べカスやら、タバコの灰やら、鼻くそやらが大量に潜んでいると思われる。しかし、こいつは分解がむつかしく、徹底掃除は無理。可哀想な余生である。ちなみに上に乗っかっているのはグアムのスーパーで買ったフラダンサーのダスター。結構使い勝手が良く、腰みのを振らして、時おり気持ちを癒している。いいと思わない?ほだら?

放置自動車

 

わがマンションの前の伊賀川沿いには、最近ときおり「放置車」が現れる。この車も川の土手沿いにもう2ヶ月ぐらい放置されたままだ。じつにお邪魔虫なのだが、車内を見るとまるで仕事途中に停めてそのままドライバーがいなくなったようにも見える。どういう理由で車を放置するのだろう。移動するようにと警告書がウインドウに貼られたが、おそらくドライバーはやって来ないと思う。以前ここから200mほど離れた所にあった放置自動車もそうだった。ナンバーから所有者を特定し、呼びつけりゃいいじゃん、とも思うのだが、マンション理事会の会議での説明では、警察はそこまではやらないらしく、一定の期間警告書を貼り、それを過ぎると市が撤去することになっているとのことだった。そんなものなんか。ドライバーのいなくなった放置自動車は、人の住まぬ民家のように、なぜかみるみるうちに老化して行く。一度捨てられると、それは後戻りできないゴミとしての奈落に突き進むようである。車、一期一会の無情。ほだら?

赤い実

 

我が家はマンションの1階なので、細々ではあるが庭がある。仕事場の窓から眺めると、鮮やかな赤い実が見えた。「おいこれ?千両だったかな万両だったかなぁ?」…。たぶん千両。僕は千両も万両も南天も見分けがつかぬ、ツツジもサツキも見分けがつかぬ、アヤメもカキツバタも見分けがつかぬ、全くもっての植物音痴で植物とは無縁の世界の人間である。千両や万両は正月の飾りなんかによく使われるらしいが、そんな僕にも、この赤い実は、年の瀬が来たよと知らせてくれる我が家の小さな歳時記でもある。ちなみに下の写真は、スーパーの景品でもらったハーブ栽培セットで、バジルである。水をやったら芽が出てきて愛らしい。しかし、バジルの栽培時期ってあるんじゃないだろうか。こんな真冬にいいのだろうか。間違った命の育み方をしたとしたら、バジル君すんません。ま、仮に立派に育ったとしても、ジェノベーゼにして食べちゃうけど。ほだら?

オジンオトッパブ

 

名古屋のミッドランドスクエアは、その先にある名古屋のクライアントと打ち合わせの際に横を通り過ぎるだけの、僕の日常とはまったく関係のない場所だが、何を思ったか、そのミッドランドスクエアのお品の良い韓国料理屋「妻家房」で「オジンオトッパブ」を食べる。店内も料理も実にお品がよろしい。僕のヨコ旅ブログで以前紹介した事があるオジンオポックンではソウルの路地裏の汚く小さな店だったが、同じ「オジンオ」メニューでありながら、シチュエーションがずいぶん違う。オジンオというのはイカの事である。トッパブは丼飯の事である。このオジンオがおじんを誘うのである。こちらは石焼鍋に入っていて、熱々のところをいただく。ヒー!シー!辛っ!。旨いじゃん。違うシチュエーションでありながら味の世界は同じである(値段は倍の開きがあるが)。イカはコチュジャンによく合うねぇ。懐かしきソウルの夜が浮かぶ。しかし、この口で打ち合わせに行ったらまずいかな、やっぱ。ほだら?

年末飾り

いつからか通りに年末大売り出しのにぎやかさが無くなった。年末の福引き大会も見かけない。これは能見町の街頭フラッグだが、最近フラッグの上に花飾りが付いた。花飾りは年末のにぎやかさを演出する意味なのだろう。しかし、このむなしさは何だろう。殺風景になるよりはいいという考え方もあるだろうが、人通りの少ない通りで風に揺れる模造花はかえって「悲哀」といってもいいほど寂しい。街頭フラッグもそうである。このLibraはともかく、最近の商店街のフラッグには、伝えるべきアクションもメッセージも華も弱く、影が薄い。実は僕も他で、街頭フラッグのデザインを依頼されたりしている。街頭フラッグというのはデザインの仕事の中でかなりむつかしい部類に入る。車から1~2秒で瞬時に理解される明快さと視認性、集合体の景観要素としての美しさ、そして季節感。言ってみればシンプル且つインパクトがあり、誰にもわかりやすく且つ美しいという、デザイン界の俳句なのである。しかし、どんなデザインも始めにメッセージありきであって、なんとなくにぎやかしに色をつけても花をつけても、それは町の汚れになってしまう。健康な肌にこそ化粧はのるのである。ほだら?

フェアレディーZの朝

今朝、大門町にあるディーラーに行く。車のベルトが弱っているというので交換に来たのだ。代車を借りるほどの時間ではないので、こうして新型フェアレディーZのヒップを眺めている。この車種は上位機種で500万近い。フェアレディーZといえば、先日の新車発表で取材記者が「こんな時期にどうしてこんな車を出すんですか?」などと失礼な質問をしていたのを思い出す。何を売ろうと何を買おうと勝手じゃんねぇ。いつか車は実質主義になり、夢が無くなった。営業マンと世間話をする。アメリカの三大メーカーはどうなるんでしょうかねぇとか、ゴーンさんは自家用ジェットを持っとるのかんとか、セダンに未来はあるのか、大型ボックスカーに一人乗って運転している人を良く見かけるけどねぇとか、トヨタの人員削減の話とか、ホンダはどうなのかとか、納車したばかりの新車が1週間もしないうちに、夏の岡崎の集中豪雨で水に浸かったお客さんがいて、その人車両保険に入っていてすぐに別の新車が届いたとか、アメリカのディーラーは車は買い取りで、購買者は広い駐車場に案内され「これ下さい」と言ってすぐに乗って帰る事ができるらしいが、日本のディーラーも買い取りなのかとか、てことは売れなくなったら投げ売りもあるのかとか、電気自動車もいいが、多くを火力発電に頼っている電気の利用は果たしてCO2削減になるのかとか、正月休みはどうなのかとか、稲熊辺りのうまいめし屋というとどこなのかとか……。そういう世間話で午前中を終えた。たまにはこういう時間もいいね。ほだら?

無題

いい機会をいただいた。日記をつけようと思う(ただし、β版)。日記は高校時代の交換日記以来つけた事は無い。寒がりの暑がりの新しい物好きの三日坊主の僕が、4年近くほぼ毎日続けているブログがある事は驚きで、こうして新設すると3つ目のブログを持つ事になる。よほどヒマと思われるに違いなく、仕事のクライアントさんが見れば、そんなヒマがあったら早く仕事を片付けてくれと言うに違いない。どうせつけるなら、誰も読まない愚にもつかない、自分本意なものがいいと思っているのだが……。