カテゴリー「町のゆるデザイン研究」

町のゆるデザイン研究:その6


 前にも触れたが、古いタバコ屋さんのショーウィンドウによく飾られているのがこれ。タバコのパッケージを利用した折り紙工芸である。これは全国的にあるようで、どうしてこういう世界がそこらじゅうで発生するのか不思議である。もともと店ができたばかりの時にはそれなりのディスプレイが施されていたであろうショーウィンドウだが、商売形態の変化と共にだんだん飾る必要がなくなり、空間の穴埋め的に行われて来た感もある。なので、マッチ棒細工、普通の折り紙、編み物、人形など、家主の趣味で飾りなら何でもありのウィンドウになっていったりする。その素朴な緩さがたまらない。この郷愁はいつまで残ってゆくのだろう。やがて消えてしまうだろうか。

町のゆるデザイン研究:その5


 これはとある銀行の窓口である。ふと左を見るとローン相談コーナーの案内POPがあった。わざわざ白紙でアウトライン文字をプリントして色鉛筆で丁寧に塗り分けしている。下を見るとアンケート用紙の回収箱らしいが、こちらは凝っていて、カラープリントしたカエルのイラストがハサミで切り抜かれて貼ってあるのだった。箱の側面にも装飾が施されている。いつものように、これらのゆるデザインが銀行業務にどうして必要なのか批評したいところだが、この、まるで幼稚園のような手づくりPOPが銀行や郵便局になぜ多く見られるか、考えてしまった。海外の銀行では考えられないことだろう。手作り感100%で福祉施設なんかのプレイルームのようである。これらは各支店単位でやられていることらしく、熱心な所とそうでない所があるのは面白い。本来の伝達目的を飛び越えて、単に制作者のノリが反映された遊び過ぎの展示物も時おり見受けられて面白い。これらは支店の従業員が時間を割いて制作するんだろうか。どうも地域サービス機関として町の人々に親しまれる銀行の演出ということらしいのだが、その点でいえば、まんざら効果がないわけではない気もする。逆に洗練されたPOPでは意味が無いのだ。いつからこんなことが流行り出したんだろうなぁ。

町のゆるデザイン研究:その4


 これは先日出かけた中国は三亜鳳凰国際空港のトイレにあった表示プレート。この「向前一小歩 文明一大歩」は以前にも紹介したが、中国の主な空港や観光地のトイレの男性便器前にはよくあるもので「ちょっと前に出る小さな一歩はマナーの偉大なる一歩である」という意味。つまり便器下を汚すなということ。文明というと大げさだがここでは、マナー文化といったニュアンスらしい。これが上海とか広州とかの大きな空港ならゴシックの文字だけのシンプルなプレートになっているのだが、中国最南端「海南島」の田舎の空港となれば、ここまで媚びたゆるいデザインが登場してしまうのだ。こんなにカラフルにする必要はないでしょ。文字にグラデーションかけたりして読みにくくて仕方ない。書体も素人の好みそうなもの。おまけにバックに、なんでくまのプーさんの絵柄が薄く入っているのだろうか。まったく意味も脈絡も無い。下の小さなプレートは便器の番号を示すものらしい。しかし見にくい。飛行場なのでヒコーキのイラストか?飾り罫までサービスして、無駄なこときわまりない。これらは確かにPCの普及による弊害である。

町のゆるデザイン研究:その3


 これは、彦根城前の夢京橋キャッスルロードで見かけた公衆便所(たぶん?)の入口である。夢京橋キャッスルロードは古い町並みを再現し、観光道路として開発されている場所。だからか、公衆トイレもこんなに風情があるのだ。がしかし、風情があるかなぁ?こんなにダイレクトにのれんに「厠」と表示し「かわや」とルビを振り、さらにフォローするように片隅に「便所」と染め上げてある。古い家屋を観光用トイレとした発想はいいけれど、のれんに「厠」というのは元から離れてデザイン的ノリが走り過ぎた感じがする。夢京橋キャッスルロードは素敵な町並みで完成度は高く楽しいとは思うのだが、あえて批判を恐れず言っておこう。僕はこのような観光開発用に「町おこし」的なノリのでできた劇場空間的な町並みが「大嫌い」なのである。デザイン臭さがぷんぷんするのである。はいこれが昔の情緒です。伝統工芸をアレンジしたインテリア小物の店もありますので、皆さん楽しんで下さいね…的な媚びた町で、観光客を演じるのが嫌なのである。言っておくよ。こんなのを都市デザインとか言わないでね。

町のゆるデザイン研究:その2


 町に潜む「ゆるデザイン」を批評するコーナー(いつできたんだ?シリーズでやろうかしらん?)の第二弾である。先日のトイレ内表示に続いて、こちらも岡崎市内の某施設内のトイレ。先日の「禁煙もの」にくらべてこちらはシンプルでいくぶん好感が持てる。しかしだ、「デザインは引き算」と何度も言ってるだろ。なんで、表示を立体プレート風に装飾する必要があるのだ。ま、プレート風に仕立てて際立たせるという理由は100歩ゆずっていくぶんわからないでもない。でも、こんな稚拙なアレンジではかえってじゃまくさいだけである。コピーはシンプルで水の文字だけ大きく色替えしているのはぎりぎり許してあげよう。でもね、文字がなんで勘亭流なのだ。勘亭流は歌舞伎看板等に使われる伝統文字で「江戸の粋」だぜ。「文字が太い」=「目立つ」という発想は間違っている。また勘亭流に漂う「媚」はオーセンチックな指示にはふさわしくない。日本人は無機質であるべきはずの業務連絡ですら、可愛いイラストを添えたりする幼児的国民なのだ。まったく媚びる必要は無い。勘亭流なんて僕でも滅多に使う機会は無いのに。この場合、中ゴシックでも目立つ感は同じか、その方が読みやすいはずである。岡崎だけに知り合いがこれを作ったのかもしれない。その場合は、今日の話、水に流して下さい。

美しくない禁煙サイン


 別に特別なことは無いけれど、とある施設のトイレで見かけた禁煙サインである。貼ったテープが汚らしいが、このサインデザインも汚らしい。このサインはここが禁煙であることを明確に伝えればいいのだが、なぜこんな要素の多いデザインになってしまうのだろうか。職員がパソコンの印刷出力で出したものだろうが、凝る必要は全くないし、シンプルな方が目的にかなうのに、なぜかだらだらと色をつけたがる。日本はこのあたりの美意識がだめである。
 デザインは引き算である。不要なものはいらない。その観点から以下、余分な要素を揚げておく。
1:なぜフルカラーで印刷する必要があるだろうか。
2:なぜ「禁煙」の文字が必要なんだろうか。
3:なぜ「禁煙」の文字に縁取りが必要であろうか。
4:なぜ「禁煙」の文字が円に沿って歪んでいるのか。
5:なぜ、ピクトグラムを安易に変形させてしまったのか。
6:なぜ、タバコイラストにこうも色が必要なんだろうか。