やっかいな介護の領域


 ある日突然老いた親が倒れた瞬間から、家族はめくるめく「治療」「介護」の渦の中に巻き込まれる。そこには本人の健康を気遣う不安や心配ごととは別に、何も知らない世界の新たな問題が山積していて、まるでありったけの荷物をしょわされ樹海の中をさまよう感じになる。僕も認知症の母親を抱えた経験があるのだが、その時、なにもかにもがわからなくて感覚が追いついて行けず閉口した。今も義父の入院問題を抱えている現状である。最もわかりにくいのが現状の医療介護システムのあらゆる所に存在する「領域」の問題である。列記してみるとまず理解しなくてはいけないのが「医療と介護の領域」。そして「緊急医療と長期療養の領域」「公立病院と地域診療所の領域」「病院と介護施設の領域」さらに「医師と看護師の領域」「看護師と介護師のそれぞれの領域」「ホームヘルパーと介護師の領域」「介護認定のシステムとそれぞれの支援領域」「健康保険と介護保険の領域」「特別養護老人施設と一般老人ホームやグループホームなど老人施設それぞれの領域」「在宅介護の限界領域」「ディサービスの領域」「延命とリハビリの領域」…こんなのは氷山の一角で、実はサービスを提供する所属の違いによってもっと細かい点でもさまざまに領域の理解が必要なのだ。例えば「介護用オムツ」の扱いひとつだって病院や施設ごとに違う。で、これらの相談にのってくれるのがケアマネージャーとされているが、それも「ケアマーネージャーの領域」というのがあって、あるところまでは参加できるがそれ以外はそれ以降はという領域があるようである。相談員という人々も随所におられるのだが、所属する立場からのアドバイスになりがちで、本当に何も知らない患者や家族の立場に立って相談できるかどうかが??である。何といっても慢性的に病院や施設のベッド数が足りない上に、医者も看護師や介護師の数も足らない世界、在宅介護の援助システムも道が見えず、家族は右往左往振り回されているのだ。それもことあるごとに書類の山に目を通しサインをしなくてはならない(これは患者や家族だけでなく医師、看護師、介護師あらゆる人々にも課せられる苦行である)。もちろんがんばってくれている医師や看護師、介護師の方々には感謝しているのだが、なにかもっと大枠で何かが違っているような気もしている。多くの家族は介護の現場で先日まで知り得なかったあらゆる矛盾に直面することになるのだが、あまり外に発言はしない。それどころじゃない毎日なのだ。それでなくても本人や家族は不安の渦の中にあるわけで、精神的負担を増大させているこの「領域の壁」をもっと無くしてシームレスなシステムにできないのだろうか、なぁ?

コメントが8個あります

  1. 互助会メンバーとタイ料理をご同席した1名 より:

    KIDさん大変な局面に直面しておられるのですね。

    しかしこの問題述べればコメント枠に収まるほど簡単なことじゃない大問題‥ですね。

    今の医療介護支援政策じゃ間違えなく悲劇は増え続け不平等から始まり弱者切り捨て人間の尊厳すらままならぬ由々しき事態になることは分かりきっています。
    や、もう既に始まっています。

    医療・介護のなんたるやを微塵も知らない財政圧迫を減らすことしか念頭にない人達がお金の算段でシステム構築をしている机上の空論政策としか思えないと私は感じています。

    在宅医療・在宅介護推進政策で声高に力説する1部の人にあなたがまずやってご覧なさいと言いたい。
    老老介護も珍しくもない昨今あの複雑なシステム手続きも出来ずなんの支援も受ける術もない人も数多くいるのです。

    これ以上はオフレコじゃないと如何なもんかという部分もあるので如何せん消化不良な感じですが、とにかく抱えず疲弊せず頑張らず相談できる人(これすらいない人が多いんですが)に頼って欲しいと申し上げたいです。

    追伸:かんごしの「し」は介護士の「士」でなく医師の「師」で看護師ですね。余計な一言でした。

  2. kiddagan より:

    ●互助会メンバー様●
    ご指摘ありがとうございます。士は師に替えさせてもらいました。
    「抱えず疲弊せず頑張らず」
    正にそう思います。しかしこれがむつかしい。本人や自分は良くても、まわりに一人でもうろたえる家族がいると本人に加えてその人間の心配もしなきゃならないですからね。
    「あなたがまずやってご覧なさい」は確かにそうですね。
    現代人が直面しているかつてない大問題なのに、なぜか目を背けたくなる。そんなところも問題ですね。

  3. 小熊 より:

    ちょうど1年前、父の看取りで市民病院に寝泊りしていた頃のことが、この病室の写真を見た途端、昨日のことのように思い出され、涙が出ました。介護の領域を意識することもないほど短い時間(1週間)でした。あのとき、もしも延命治療をしていたのなら、様々な介護の領域や問題を意識することになったのでしょうね。主題から外れた書き込みをお許しください。

    • kiddagan より:

      ●小熊さんへ●

      そうでしたか。思い出させてしまってごめんなさい。

      こんな世界が同年齢の僕らのまわりにたくさんあるようです。でも、意外なほど世間が静かなのはさまざまな気遣いがあるからだと思いますね。

  4. 小熊 より:

    Kidさんの写真は、悲しさと同時に懐かしさも運んでくれました。思いがけないところで父と再会したようで、とてもありがたく思っています。

    >意外なほど世間が静かなのはさまざまな気遣いがあるからだと思いますね。
    まったくその通りですね。

    身内を失うのは悲しいことですが、これは誰もが避けることのできない人生の通過点なのだと思い、自分自身の終着点に到着するまでは、今と将来を大切に生きることが肝要なのだと思えるようになりました。

    • kiddagan より:

      ●小熊さんへ●

      「自分自身の終着点に到着するまでは、今と将来を大切に生きること」正にそうですね。
      残る自分自身が幸せであることを、去り行く人も望んでいるでしょうから。

  5. 鉄人28号 より:

    私の実母も三重で、施設のお世話になっています。ボケるのは、死の恐怖から逃れられると例えた人がいます。
    実母は88歳で、姉が、お世話をしているのですが、先週も行ったら、3時間くらいそのような話しを、一方的に聞いて帰ってきました。
    60歳からあとは、オマケと言った、先人の言葉が、心に残っています。

    一方的に書きました。

    • kiddagan より:

      ●鉄人28号さんへ

      コメントありがとうございます。
      うですね。人の死をどう受け止めるか。そして人の死の迎え方をどう受け止めるか、それが大事ですね。

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